今年、建帛社が創立50年を迎えるとのことである。今から50年前といえば、昭和34年に当たる。この年、私は厚生省の栄養課に勤務していた。栄養課は今では廃止されてしまったが、当事は国民が栄養失調の状態にあり、栄養改善は急務であった。すなわち、戦後わが国は食料不足に陥り、アメリカ合衆国から小麦などの提供を受けていたが、まだまだ米に頼る傾向が強く、農民たちは一日五食も米食をしていた時代である。米食は、お腹は一杯になるが副食は少なく、そのため、エネルギー以外の栄養素が不足し、栄養失調が多くみられた。したがって国は、副食を多く摂ることができるパン食の普及に力を入れていた。ある大学教授が「米を食べるとバカになる」などといった研究を発表した時代である。パン食の普及にキッチンカーを導入し、全国の市町村を巡回させもした。その結果、ようやく米の過食が止まった反面、食の欧米化が進み、今や過食により糖尿病その他の生活習慣病対策が急務となっている。時代の変遷が国の政策を大きく変えた一つの象徴でもあろう。
それから13年後の昭和47年、私は厚生省に新設された老人保健課の初代課長に就任した。当時、国は老人医療費の無料化を実施しようとしていた。医療費の3割を自己負担していた65歳以上の老人医療費を、東京都の美濃部知事が全国に先駆け、すべて公費で肩代わりすることとした。これが全国の地方自治体に波及しはじめ、国もやむなく老人医療費の無料化を打ち出すこととなり「老人福祉法」を改正した。こうして老人医療が無料化されると、老人は気軽に医療機関を受診するようになり、病院のサロン化が始まるとともに老人医療費が急騰した。こうした事態に対処するため国は、40歳以上の人達を対象に健康手帳の交付・健康相談・健康指導・健康診査等を総合的に行う「老人保健法」を制定した。しかし今でも、老人医療費は国民総医療費の三分の一を占め、依然高い水準にある。このため、昨年とうとう75歳以上の人達を切り離し、「後期高齢者医療制度」を施行したが、「後期高齢者」という名前が悪く、しかもその制度の中に終末期相談支援料などを設定したため、世論の反発を浴び、慌てて名前を変えたり不都合な部分を凍結したりしている。国の政策を一度変えると、そのつけがいつまでも残ってしまう端的な例であろう。
私は昭和51年に厚生省を退職し、その後、二つの財団を経て、59年に東京家政大学に就職した。そこではじめて建帛社と知り合い、『栄養生理学実験』の一部を手伝った。当時は、南山堂・南江堂・医歯薬出版など医学書を発行している出版社はよく知っていたが、建帛社については全く聞いたことがなかった。しかし建帛社は誠実に、地道に出版を続けていることがわかり、現在も『公衆衛生学』や『健康管理論』の編集等を行っている。
私が東京家政大学勤務中に「栄養士法」が改正され、管理栄養士の職務が明確化され、同時に国家試験も始まった。実は管理栄養士が法律に明記されたのは、私が厚生省の栄養課にいた時代で、その職務は栄養指導の中で「複雑かつ困難な業務を行う者」と規定されただけであった。それが約40年経った平成14年に「傷病者に対する栄養指導を行う」等の業務がはじめて明確化された。実に長い道のりである。やはり時代は変わっていくが、その政策によって速く感じたり遅く感じたりすることが強く意識される次第である。
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