赤道直下珊瑚礁上に浮かぶモルディブ共和国は、1,200の島々からなり、そのうち数島で、かつお節がつくられている。 モルディブは、かつお節製造の起源をもつともいわれている。いまでこそ日本の資本と技術が導入され、インドネシアやフィリピンなどでもかつお節がつくられているが、古くからかつお節づくりを手がけてきたのは日本とこのモルディブだけである。14世紀にアラビアの旅行家イブン=バットゥータが、かつお節をつくっている島の人々のことを記録に残している。それから600年ほど経た今日でも、その製造法も食べ方もほとんど変わらない。 モルディブはカツオの産卵海域にあり、日本と違い一年中カツオが水揚げされる。早朝一本釣りしてきたカツオを、三枚におろし、真水に塩を入れて煮た後(昔は海水)、簡単に焙乾し、日に干してかつお節が出来上がる。島の人々は、生に近いいわゆるなまり節を常食とし、さらに水分を除き保存性を高めたかつお節は、隣国スリランカに輸出してきた。現在もその状況に変わりはない。 一方、日本のかつお節製造とその食べ方はどうだろう。カツオそのものは縄文時代から食べられており、奈良時代の法典である『養老律令』に、かつお節の前身と考えられる「堅魚かたうお」、「煮に堅魚がつお」、「堅魚煎汁かつおいろり」が、すでに重要貢納品としてあげられている。室町時代には、かびづけをしていない「荒節」が登場した。「かつお節」という文字の初出は、『種子島家譜』であり、1513年のことである。両国のかつお節づくりについては、同時発生説と伝播説があり、いまだ結論は出ていない。 モルディブと違い、日本では、その後の発展が目覚しい。江戸時代初頭には、すでに「だし」のとり方や使い方が、当時の料理書に多く紹介されるようになった。江戸時代には「だし」といえばかつお節だしをさし、大いに普及発展したのである。その後明治に入ると、かびづけにより徹底的に水分を除いた「本枯節」が出現し、戦後は、経済性と簡便性を追求した「だしの素(風味調味料)」が発売され、広く普及し、今日の日本食のベースの地位を確固たるものとした。 このように日本とモルディブのかつお節づくりを比較したとき、真っ先に思いあたるのは水の存在である。日本の豊富でいい水がこの違いをつくったともいえる。しかし、私が一番強く感じたことは、日本人の技とたゆまぬ努力である。よりおいしいものをよりよいものをという日本人の執念が、日本の食文化を支えてきたといえるのではないだろうか。 建帛社から昨年発行した拙著『だしの秘密』では、かつお節だしを中心に、だし全体に話題を広げ、科学的な裏づけをしながら、フィールド調査や、歴史を辿り、だしの魅力と秘密を解き明かしてみた。ご一読願えれば幸いである。
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