建帛社だより 「つくし」

 平成29年9月1日号

おいしさのすすめ

畿央大学教授  山本 隆

 「笑いは健康の泉」といわれるが,がん患者に落語を聞かせて笑いの効果がいかに病状によい効果を及ぼすかを科学的に調べようという試みが始まっている。私は,笑いとおいしさの背後には共通の生理機構があると考えている。ともに快の情動であり,副交感神経の活動,リラックス効果,β―エンドルフィンなど幸せ感を引き起こす脳内物質の分泌,免疫能の活性化などを生じる。
 いしさは口から食べることにより生じる。口を経由せずに経管による栄養液の補充では食の楽しみは当然期待できない。体調不良で食べられなくなっても,点滴などに頼らず努力して口から食べる訓練をした人は,体調の改善が非常に早いことが知られている。大阪のあるホスピスでは,死期が迫る患者さんから,これまで最も好きであった食べ物や思い出深い食べ物を聞き,その人のイメージどおりの食べ物を,吟味した材料を用いて心を込めて再現し,感激して食べてもらっているという。まさに食べることは人生最大の楽しみなのである。
 は,おいしさに二種類あることを以前より指摘している。一つは「快楽としてのおいしさ」である。本能的に快感を呈し,食べたくなる高甘味,高脂肪,高カロリーの,例えば,スナック菓子やケーキなどは,栄養のためというよりは楽しみのために食べるものである。もう一つは「生きるためのおいしさ」で,栄養摂取を目的としたおいしさである。日々の食事をおいしく食べるということであり,魚,肉,野菜など種々の食材をおいしく調理して食べるということである。食文化や食経験にもかかわるおいしさである。
 ルタミン酸,イノシン酸などのうま味物質は生きるためのおいしさを生む原動力である。昆布の出汁には約0.02%の割合で遊離グルタミン酸が含まれているが,これはうま味を生じるグルタミン酸のほぼ閾値濃度である。それ以外の多様な成分を含む昆布出汁の中に四基本味と異なる独特の味があることに気づいた池田菊苗の味覚力は驚異的である。この濃度で食材をおいしくするということは「うま味」という味覚の作用というより,うま味物質のもつもう一つの働き,食べ物をおいしく(旨く)するという調味料効果によるものである。高甘味や高脂肪は「やみつき」になり,過食と肥満に結びつく傾向にあるが,うま味によるおいしさは,やみつきを生じない。摂食欲の発現に関与する脳内の報酬系に対する興奮作用が弱いからである。
 いしさは脳の特定部位の活動と特定の脳内物質の分泌作用で生じる。味蕾内の味細胞には五基本味の受容体が発現していて五基本味の味覚情報を脳に送るのであるが,私は,いくつかの根拠から,「おいしさ・まずさ」も味細胞レベルですでに識別され,その神経情報が脳の快・不快に関する領野に直接送り込まれるのではないかと考えている。
 上のことも含め,味覚と食行動に関する新しい知見については拙著『楽しく学べる味覚生理学』を参照していただきたい。