建帛社だより「土筆」

平成29年1月1日

安定した日本の栄養状態の中の問題点

公益社団法人日本栄養・食糧学会会長 名古屋大学大学院教授・生命農学研究科副研究科長  下村 吉治

本の現在の栄養状態は,日本経済の発展・安定と共に飽食の時代を迎え比較的落ち着いた状態にあることは,どなたも認めるところだと思います。食育および栄養教育の効果だけでなく健康ブームとあいまって,人々の食の機能と安全性に関する関心の高さには目を見張るものがあります。その状況に追い打ちをかけるように,機能性表示食品制度(安全性および機能性に関する一定の科学的根拠に基づき,食品関連事業者の責任において特定の保健の目的が期待できる旨を食品に表示する制度)が平成27年に制定されたことにより,さらに食品に関する情報は氾濫しているかのような様相を呈しています。このような社会的状況では,食に関連する大きな問題はないように見受けられるかもしれませんが,ここではいくつかの問題を掘り起こしてみたいと思います。
に述べましたように,日本は飽食の時代を迎えたこともあり,「メタボ」に代表される栄養過多の状態にある人が多く認められるようになりました。特にこの肥満傾向にある人は中高年の男性に多いようです。肥満に伴いインスリン感受性が低下したインスリン抵抗性の状態となり,強いては糖尿病に進展するわけです。現在の日本では,糖尿病またはその予備軍の人を合わせると約2,000万人に上ると推定されています。かなりの割合の国民が糖尿病のリスクと向かい合っていることになります。インスリン抵抗性を改善するためには,カロリー摂取の制限ばかりでなく,身体を動かす運動(特に血液循環を促進する持久的運動)が重要であることが明らかにされていますので,生活習慣全般を見直す必要があります。
方で,肥満の中高年男性が多い現状とは裏腹に,20代から30代の女性では痩せ(体格指数BMI[(体重kg)/(身長m)2]:18.5未満)の女性が同世代の女性の約20%に達するという奇異な状態になっています。おそらく,ダイエット嗜好の行き過ぎが原因と推察されます。この時期は出産期でもあるため,痩せの状態で妊娠し出産すると,低出生体重児(出生時体重2,500g未満)が生まれる確率が高まることが明らかとなりました。実際に,日本では出生率が低下傾向にあるにもかかわらず,この低出生体重児が全体の出生児の約10%にも達しており,他の国(世界平均:約7%)と比べてかなりの高率です。低出生体重児で生まれると,成長後の糖尿病や虚血性心疾患などの生活習慣病のリスクが高まることが明らかにされており,この問題は日本の基盤を揺るがす可能性のある大問題です。正しい栄養教育により,この状況を是正しなければなりません。
知のように日本は超高齢社会になっています。高齢者(特に後期高齢者)が元気な状態ならばよいのですが,老化により身体が脆弱になり,医療費を大きく費やさざるを得ません。このような高齢者問題の1つの原因として,老化による骨格筋の減少と脆弱化によるサルコペニアがあげられます。現在の高齢者の食事では,タンパク質摂取量が少なく,筋タンパク質合成を十分に高められないことがわかっています。高齢者の筋タンパク質合成能を上昇させるには,より多くのタンパク質を摂取する必要があります。高齢者こそタンパク質・アミノ酸(特に分岐鎖アミノ酸)を多く摂取することが必要とされています。間食時にタンパク質を摂取できるとよいのですが,現在の間食としてとられるスナック類では高タンパク質の食品が極めて少ない現状です。より高タンパク質のスナック開発に関心が寄せられてもよいと思います。
上のように,日本では栄養に関する問題が特定の集団層に集中しているように思われます。これらの問題を解決していくためには,科学的根拠に基づいた正しい食に関する情報が必要です(Evidence-based Nutrition)。日本栄養・食糧学会では,栄養と食糧の問題に対して科学的エヴィデンスを生み出し,その情報を社会に発信すべく日本国内はもとより国際的にも活発に活動しています。

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第105号平成29年1月1日

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