建帛社だより「土筆」

令和4年9月1日

「障がい者のためのスポーツ」から「障がい者スポーツ」へ

東海学園大学教授 島田 肇この著者の書いた書籍

021年8月24日から9月5日まで行われた東京2020パラリンピック大会は,コロナ禍にもかかわらず,161か国,約4,400人の選手が募り実施されました。
今回の大会では世界記録が158個記録され,世界はもちろんのこと日本国内でも,障がい者スポーツへの関心はさらに拡大したといえるでしょう。

ころが,日本における「障がい者スポーツ」としての道のりは,決して平坦なものではありませんでした。障がいのある人々の行うスポーツは,戦後長らく社会福祉施策の一環としてのリハビリテーションという位置づけにあり,当事者もその関係者も限られていました。

がい者スポーツが,すべての人々を対象にしたスポーツとして,おおやけにその存在を現したのは2010年の「スポーツ立国戦略」が策定されてからです。翌年には「スポーツ基本法」において,障がい者スポーツが初めて「スポーツ」として位置づけられることで,それまでの「障がい者のためのスポーツ」(リハビリテーション)は,「障がい者スポーツ」(スポーツ)へと移行したのです。

つて,国連総会は1981年を国際障害者年と宣言し,完全参加と平等を提唱。就労を中心とした障がいのある人々の社会参加がすすむ反面,社会側の理解は,ややもすると,それまでの福祉的支援を背景にもつ障がいのある人々の理解を前進させることはほとんどありませんでした。しかし,これまでの取り組みは決して無駄ではなかったのです。

回の我が国における東京2020パラリンピック大会は,障がいのある人々が主体的・挑戦的に取り組む姿を,多くのマスメディアを通して伝えることで,障がい者スポーツの「スポーツ」としての感動を多くの国民に実践してみせたのです。

たちは,障がいのある人々の就労,スポーツ,教育等その自己実現の機会拡大が,もはや「参加」ではなく国民の1人としての生きる姿そのものであることを認識しなければなりません。

がいのある人々は,あらゆる機会を通して,その個性としての特徴を活かすことで,社会活動場面に新たな可能性を開拓,発展させていくキーパーソンになるでしょう。そして,障がいという個性は,経済,社会,文化,政治等の様々な側面に新たな場面を生み出し,そこでハイブリッドな現象を起こす源泉になると考えられます。

の現象は,いずれ,より深遠な思想・哲学を私たちの目の前に示し,将来のまだみぬ新しい困難を切り開く際の原動力になるでしょう。

うした連続するたゆみない取り組みが,共生社会を重層的に拡大していく唯一の,そして最短の方法なのだと考えられます。


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第116号令和4年9月1日

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