令和5年9月1日
出生前診断
埼玉大学名誉教授 細渕富夫この著者の書いた書籍
我が国の2022年の出生数は約77万人で過去最少となり,ついに80万人台を割り込んだ。これは国立社会保障・人口問題研究所の想定より11年も早かったという。1981年の出生数は約150万人なので,この40年間で出生数がほぼ半減してしまったことになる。コロナ禍による婚姻数の減少が少子化のペースをさらに速めたとされている。
少子化は,周知のように,将来の労働力の減少をもたらし,経済の縮小につながる。また,年金,医療,介護などの社会保障制度の維持も困難になる。結婚や出産は個人の価値観や自由な選択に基づくものであることはいうまでもないが,社会政策としては,「異次元の少子化対策」で「望む人が結婚しやすく,産み育てやすい国」にしていくことが喫緊の課題である。
少子化に歯止めがかからない一方で,障害のある子どもの出生数は増えている。このため,知的障害のある子どもを中心に特別支援学校の児童生徒数も増えている。こうしたなか,病気や障害のある子どもの出生前診断が急速に拡大してきている。現在は,妊婦の血液から胎児の病気(ダウン症などの3つの病気)を調べる「新型出生前診断(NIPT)」が主流であるが,近年では体外受精させた受精卵に異常がないかを調べる「着床前診断」も広がりをみせている。
当初,これらの検査は限定された施設で,対象とする妊婦も,高齢妊婦や染色体の病気のある子どもを妊娠したことのある妊婦に行われていた。しかし,今では身近な産婦人科医院でも検査が可能になり,実施施設数が増え,事実上希望するすべての妊婦が受けられるようになっている。両親への十分なカウンセリング体制がないため,ある調査によれば,検査を受けて胎児の病気や障害が確定した人の九割が中絶を選んでいたという。
生まれる子どもに病気や障害がないことを望むのはごく自然なことである。検査数の増加傾向からすると,その思いがさらに強まってきているように思う。病気や障害のある子どもが生まれると,家族に経済的,心理的に大きな負担がかかるのは事実である。しかし,だからといって病気や障害のある子どものいのちを奪い,排除してしまってよいのだろうか。
病気や障害のある子どもは,どこかで必ず生まれてくる。だからこそ私たちは,まだ十分とはいえないが,そうした子どもとその家族を支える社会的システムを構築・整備してきたのではないのか。近年では,医療的ケア児の支援が法制化され,重い障害のある子どもとその家族の生活を支えている。病気や障害の有無にかかわらず,子どもと家族が安心して暮らせる社会こそ豊かな社会といえる。
障害のある人たちの出生数が減れば,社会保障費の支出も減るので,出生前診断は必要悪だとする意見がある。しかし,これは障害者の大量虐殺をまねいたナチスの優生思想と地続きである。私たちは今,病気や障害のある子どもたちの誕生を「予防」する社会をつくりたいのか,それとも多様な人々との豊かな「共生社会」をめざすのか,歴史の岐路に立たされているのかもしれない。
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