令和7年1月1日
能登半島地震後の学校再開に向けた取り組み
金沢学院大学教授 仁八 潔この著者の書いた書籍
令和6年1月1日16時10分に発生した能登半島地震は,尊い人命,生物や無数の財産を奪った。震災後を回顧すると,県立高校の校長(当時)として学校再開に向けた準備や再開後の取り組みにより,困難を乗り越えたことが思い出される。
地震直後,大津波警報が発令される中,私は,妻に両親を任せ,自宅玄関のがれきをかき分け学校へ向かった。急場しのぎに学校を避難所として開所し,高齢の方,障がいのある方,小さな子ども連れ家族など,130名を超える人々を受け入れた。6日間の運営期間を経て,幸い1人も体調不良者を出さずに閉所することができた。
1月5日,多くの教職員が勤務できない状況ではあったが,私は出勤した教職員に今後の見通しを示した。共通理解・共通行動を図ることを目的に「学校再開に関わる連絡事項」を作成し,職員室で20分間説明。さらに,学校再開のための校舎内外の復旧作業を急ぐ一方,震災による生徒の不安の軽減を目的に,全生徒対象に「個人面談」の計画を立て,研修会を実施した。研修に参加した教員の表情や態度からは,個人面談に向けての不安が解消され,自信をもつことができたように感じられた。さらに私は,学校再開日前日に,5時間かけて生徒の避難所先すべてを訪問した。生徒と直接面談し,声をかけ,心理面,生活面の実態把握に努めた。皆,明るく接してはくれたが,中には限られた居住スペースにより安眠できない生徒がいることを知った。その際は,担任にすぐ連絡し,生徒の状況を説明するとともに,あたたかな言葉がけ,生徒の願いや思いをていねいに聴くことを助言した。
学校再開日の1月15日,雪が降る朝,私をはじめ,教職員が生徒玄関前で登校してきた生徒一人ひとりに声をかけ迎えた。保護者の自家用車,徒歩,自転車など,移動手段は様々であったが,301名中47名の生徒が登校した。その日は,ロングホームルーム,個人面談,授業が行われた。全生徒対象の個人面談は継続して毎日実施,教員が生徒の思いや願いを聴くことに努めた。これらにより,生徒は安心して学校生活を送ることができたものと感じている。学校再開後2週間は,毎日学年団の情報交換後,学年主任と管理職による生徒の情報共有と生徒指導にかかわる意見交換を行った。徐々に落ち着きを取り戻しつつ,次年度に向けた準備を進め,学校評議員会(全委員へ資料持参により説明)で,令和六年度の学校経営方針が全会一致で了承された。また,3月末には学校管理計画や学校要覧,中学生配布用パンフレットなどの作成がほぼ終了した。
結びとして,災害時における校長の適切な判断と行動はきわめて不可欠なことである。それと同時に,教職員,生徒の状況を正確に把握し,心のケアをはかる。さらに,教職員に繰り返し未来を示し,労い,励ましながら指導や助言を行うことはとても大切であった。同年3月には震災対策を徹底し,重要な節目の行事である「卒業式」と「入学試験」を無事終えることができた。
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