はじめに
観光学は若い学問である。社会科学の系統分野にあるが,その研究の歴史は浅く,学際的な領域ともいえる。観光を研究するには,民俗や歴史,地理,文化,さらには建築土木や都市工学,造園学,心理学などからのアプローチもある。また,近年では,数理・データサイエンスや生成 AI など ICT の知識・技術も重要になっており,観光分野における理系人材の獲得・輩出も必須のテーマである。特筆すべきは,経営学をはじめ商学や経済学といった学問領域との連関が欠かせない点にある。このように観光は,さまざまな学問と密接に関わり合い,それぞれにせめぎ合っているのである。こうした学術的な要素を背景に本書は,「観光経営学」の入門書として編集している。
観光庁は 2017(平成 29)年度から観光教育に取り組み始め,2018(平成 30)年告示の高等学校学習指導要領の改訂で,高校の商業科に 2022(令和 4)年度から新たに「観光ビジネス」科目が導入された。この観光ビジネスという言葉に代表されるように,観光学と経営学の融合は,今後もさらに深化していくことだろう。
ツーリズム・インダストリー(観光産業)には,旅行業や交通運輸業,宿泊業,レジャー産業やブライダル産業など,数多の業種がある。その裾野は広く,かつ外縁を広げており,私たちの社会経済に多くの恩恵をもたらしている。それは産業界のみならず,受け入れる地域の側においても同様で,観光政策の立案や実際の観光行政には,観光計画の知識および観光地経営の視座が求められる。さらには,誰ひとり取り残されない社会の構築に向けてユニバーサルツーリズムへの取り組みが加速しており,国際的な時事にも明るくなくてはならない。これらの知識を網羅した一冊を,観光研究の第一線で活躍する執筆陣でまとめ上げたのが本書の特徴である。
わが国がめざす「観光立国」の実現には,観光マネジメント人材(観光経営人材)の育成が喫緊の課題である。観光の職に就いたとき,社会人としての第一歩は現場からのスタートになるのが通例だ。現場では,机上における知識だけでは通用しない事象にも遭遇することだろう。語学力はもちろん,高度なコミュニケーション能力やチームワーク力,そして高いホスピタリティ精神や「利他共生」の心も求められる。月日を重ねて現場での研鑽を積み,やがてマネジメント候補生として次なるステージで活躍するとき,本書における観光経営の基礎知識は必ずや役に立つはずだ。
「ヒトやモノが動けば,カネが動く」というのは経済学の原理原則だが,経営学においては,この「ヒト・モノ・カネ」に,さらに「情報」が加わり,それらを経営資源と呼んでいる。企業が最大効果を生むためには,こうした経営資源を最適配分して効率的に活用し,リスク管理を徹底させることが重要で,それをマネジメントという。
あなたが将来,観光産業や自治体,地域等でマネジメントをする側に立ったときのことを思い描いてほしい。簿記・会計の知識をもって財務を管理することになるかもしれない。どうやったら自社の商品やサービスが売れるのか,マーケティングや消費者行動における学術的な知識も必要になってくるだろう。これらの例からも,観光と経営のそれぞれを学ぶことの重要性と,その意義を理解できるだろう。
観光は,世界最大のサービス業といわれる。かつて「ものづくり大国」と呼ばれたわが国・日本が,「観光立国」をめざすようになって久しいが,観光経営人材の育成は緒に就いたばかりである。そもそも観光産業は,天変地異や戦争,テロなどの争乱,疫病の影響を受けやすく,また,経済危機や為替の変動にも左右されやすいため脆弱性が高い。そうした特異な産業を,日本の基幹産業に押し上げるためには,現場をマネジメントできる力を涵養することが重要であると筆者は考える。
観光にはライバルがつきものだ。観光地の地域間競争は日々,激しさを増しているし,観光における国際競争力は一朝一夕には培うことができない。観光産業に従事したいと望んでいる若い読者の皆さんには,英知をもって日本の観光立国実現に寄与・貢献できるよう,毎日を切磋琢磨してもらいたい。
本書の出版にあたっては,建帛社の筑紫和男社長ならびに編集部の方々に大変お世話になった。内容の精査や調整にあたって,辛抱強くご対応いただき,多大なるお力添えを賜った。共著者を代表して,この場をお借りして深く御礼申し上げたい。
本書は,シラバス(授業計画)でいう事前学習・事後学習にも対応したつくりとなっている。これから観光経営を学ぼうとする人,はたまた教壇で観光ビジネス科目を教える教員の方々
にとって座右の書となることを祈念する。
2024 年 8 月
編著者 千葉 千枝子
編著者 千葉 千枝子