建帛社だより「土筆」

令和7年1月1日

持続可能で健康的な食事のゆくえ

国立民族学博物館教授 野林厚志この著者の書いた書籍

019年の1月に英国Lancet誌に掲載された,「人新世(ひとしんせい)の食事:持続可能な食料システムからの健康的な食事に関するEAT―Lancet委員会報告」という論文は,来たる100億人の地球人口を想定し,人類,地球ともに健康で持続していくための「理想」の食を1日の摂取カロリー2,500kcalに設定し,提示したことで話題を呼んだ。

DGsが世界の課題として認識されている中,健康を人類だけでなく地球環境という視点から考え,よい食事を追求していこうとする第一線で活躍する研究者たちの提言には大いに賛成した。一方で,論文の筆者らが中心となって構成された委員会がWebサイトで示した未来の食事のメニューにはやや違和感を覚えた。見た目も内容も欧米で摂る食事の雰囲気が強く,和食や筆者が愛する台湾の小吃(シャオチー)の趣は感じられなかったからだ。世界中の人々の食事を知り,その環境の中で維持できる多様な食材を提案する努力がもっとあってもいいはずであると感じた。

の後,新型コロナウイルス感染症の大流行(2020年),ロシア・ウクライナ戦争(2022年),ガザ・イスラエル紛争の激化(2023年)など,世界は大きな変化に見舞われた。これらの出来事は食料,燃料,肥料の不安定な供給や価格の高騰を引き起こし,食料システムの不公平や不公正は増大したように思われる。

うした状況の中,EAT―Lancet委員会は2.0委員会に進化し,2022年から2023年にかけて,食料システムにかかわる生産者,調理者,消費者の様々な声を取り込み,新たな食料システムとは何か,その条件や課題を抽出する議論を進めた。2023年7月に報告されたレポート「健康で持続可能かつ公平な食料システムの未来を形づくる世界の声」の内容は当たり前のように思えるものも少なくないが,世界中から集められた声に基づく結果はより説得力があった。

加者からは,個々の状況が大きく異なる可能性があることが指摘され,特に多くの地域では,健康的で持続可能な食品は,不健康で持続可能でない食品に比べて高価であるという声が聞かれた。手頃な価格と食料へのアクセシビリティが確保されない限り,2019年のEAT―Lancetの報告書が北半球中心であると受け取られかねないという懸念はまったくその通りだろう。

々な意見,提言の中で,筆者が特に興味深かったのは,健康的な食事は共同体や社会と関連しているとされたことであった。他者と食事を共にすることは,つながりを育むだけでなく,より健康的な食習慣を促進するためにも重要であると考えられ,1人で食事をするよりも,他者と食事を共にする方が,健康的な選択肢を選ぶ可能性が高いという意見は,人類の食が生態学的な適応手段だけでなく,社会文化的な存在であることをあらためて認識させてくれた。

つの生物種ホモ・サピエンスとして生存していくために必要な食は理論的には大きく変わらない。一方で,時代によって変化し,地域的な多様性をもつ人類の社会や文化の中にある食を学び,考えていくことが今後,ますます重要となるであろう。


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第121号令和7年1月1日

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