建帛社だより「土筆」

令和7年1月1日

保育の中に身体表現遊びの喜びを広げたい

帝塚山大学名誉教授 岡澤哲子この著者の書いた書籍

は,1983年に関西で発足した「表現運動・ダンス指導者研究会」の幼稚園・保育所部会のメンバーとして20年以上前から研究活動を続けています。幼稚園教諭・ダンサー・大学教員などの身体表現大好き人間たちが,主に保育現場の先生方対象の実技講習会に向けて,月1回程度集まりワイワイ楽しみながら情報交換や乳幼児の身体表現遊びを考案しています。

は元々身体表現が決して得意というわけではなく,大学生時代の身体表現の授業は苦痛でした。「落ち葉」の表現が課題だったときのことです。前日の夜まで悩みながらつくった動きを授業で発表し,先生から評価をされました。このことに対して,「『落ち葉』にかかわる体験はみんな違うのに,自分は何を評価されたのだろう?」と,身体表現に苦手意識をもっていた私がはじめて抱いた疑問もありました。

述の研究会のメンバーは経歴や世代が異なる集団のため,得意も不得意もそれぞれです。「○○さんのように素敵に動きたいけれど,いまさら自分は追いつけないな」と悩んでいたとき,メンバーから「○○さんはイチロー選手で,岡澤さんは松井選手なんですよ」という忘れられない言葉をもらいました。イチロー選手も松井選手も,プレースタイルは違うけれども,それぞれ心に残るすてきなプレーをする選手です。そうです。身体表現には上手とか下手とかがなかったのです。

体表現は人の心のスケッチです。例えば,年長児が手にもった星形を自由に動かし,年少児がその星型にタッチをする遊びで,年長児は腰をかがめて,満面の笑顔でゆっくり手を動かします。そんなとき,保育者は「やさしく動いてあげているんだね」と年長児に声かけをします。

体表現遊びでは,双方向に気持ちを寄せたり,言葉をかけ合ったりすることで,自分の心のスケッチを生き生きと表現し,自分の存在を確かなものとして意識できるようになります。双方向性を内在している遊びは生きる力の基礎になっているように思います。

なら,大学生時代のように「落ち葉」の形態の表現に対して上手い下手にこだわるのではなく,自分が感じた「落ち葉」そのものになって身体感覚や心の揺れ動きを楽しむことができます。

んな遊びも身体なくしては遊べません。遊びの喜びや快感は,身体の感覚や心の揺れ動きから得られるからです。それを意識しながら,最近では自分でネーミングした「ドッキング身体表現遊び」というものを考えています。例えば,カラースカーフを使った遊びでは,子どもたちが友達のスカーフをつなげて長縄のように回して跳ぶ姿や,広げたスカーフ越しに天井のライトを見て「なんか違う! きれい!」と興奮するなど,生き生きとした姿をみせてくれます。子どもたちの表現や発見・気づきが,いくつもの保育の領域を包含した総合的な体験であることに驚かされるのです。

後も,魂がワクワク動いている自分を感じながら,身体表現遊びの喜びを保育の中に広げていくことを続けたいと思っています。

目 次

第121号令和7年1月1日

全記事PDF