建帛社だより「土筆」

令和8年1月1日

アジアの美術教育調査からの思い

山口大学名誉教授 福田隆眞この著者の書いた書籍

者は1987年に国際協力事業団(現 機構)の短期派遣によって,シンガポールでデザインと美術教育の研修に当たっていた。以来,約40年間,東南アジアと東アジアで美術教育の調査を進めてきた。対象は,教育省,美術大学,教育大学,美術館,博物館,小中学校,美術家,民間学校などである。アジア諸国はこの40年で,高度経済成長,情報化社会の到来,グローバル化など,様々な変貌を遂げてきた。ここではいくつかの国の大学について所感を述べたいと思う。

ず,シンガポールの教員養成を行っている教育学院へ行ったときのことである。戦地だったブキティマにあり,校舎は木造で,まるで日本の昔の学校の雰囲気であった。そこでは,教師を目指す多くの学生が授業を熱心に受けている姿を覚えている。校舎は古いが若い活力と夢で溢れていた。なお,現在は南洋理工科大学に含まれている。

いて,1995年には初めてインドネシアのジャカルタ,バンドン,ジョグジャカルタ,バリの教育学院を調査した。ジョグジャカルタの教育学院も木造であった。応接室では,彩りきれいなお菓子を出された際に,たくさんの蠅が元気に飛び回るのが気になり,話の内容を忘れて自身が子どものころ使っていた“蠅取り紙”のことを思い出していた。現在では,教育学院も改組によりジョグジャカルタ州立大学へ変わり,教育内容がより専門化し,校舎も鉄筋5階建てになっている。30年前に食べた,大学前のサテ(焼き鳥)レストランも大きな店になり,大学と共に発展していた。今も変わらず美味である。

999年,マレーシアのスルタン・イドリス教育大学に調査へ向かった。マレーシアも教育学院の改組で大学となり専門も拡大されていた。この大学は,クアラルンプルから北に70キロのタンジュン・マリムという当時人口2万人の小さな山間の町にあった。校舎は建設中で,完成後には広いキャンパスと大きな施設ができるとのことであった。実際,2013年の再訪では,予想通り美術の分野も拡充され,教員も増え,専門も15に分かれて立派な工房を擁しており,国の経済成長を目の当たりにした。

年,東マレーシアのコタキナバルとクチンの教育学院を訪問した。コタキナバルの教育学院では,「日本人が来校したのは2人目です」と言われ大歓迎された。夕方にはパーティが開催され,こんなにも歓迎されると気恥ずかしい思いであったが,ローカルフードをたくさんいただき,現地の皆さんのあたたかさを感じることができた。

湾へは,2004年に初めて調査に行った。これまで台北教育大学,台中師範大学,屏東教育学院,花蓮教育大学など調査を行った。中でも,2007年と2009年には山口大学の学生10数名と台北教育大学を訪問し,大学のギャラリーで展覧会を開催した。台湾は近くて遠い存在であったが,当時の学生達は異文化を受け止めることができ,よい交流となった。

調査内容は逐次記録したが,思い出すのは人々や風景,料理,においや味,熱気や肌で感じる感覚である。すべてに感謝しながら,今なお,調査を続けている。

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第123号令和8年1月1日

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