建帛社だより「土筆」

平成24年1月1日

東日本大震災直後の石巻赤十字病院の取り組み

石巻赤十字病院副院長・消化器内科  朝倉 徹この著者の書いた書籍

 年に一度とも言われる大津波が襲った東日本大震災から半年以上が過ぎようとしておりますが,石巻に残る震災の爪痕や残骸は,いまだその被害の甚大さを物語っています。

 巻赤十字病院は,石巻医療圏(人口22万人)の急性期医療を担う中核病院で2006年5月,現在の蛇田地区に新築移転しています。宮城県沖地震が予想されていたため大地震に備えた構造と設備を有し,日頃の訓練や研修などによって,職員の災害に対する啓蒙を行っていました。3月11日の地震発生と同時に災害対策本部を設置して,被災者の受け入れ準備を進めました。

 害派遣で石巻地域を担当する陸上自衛隊が当初目指した石巻市役所には浸水で入ることができず,市の防災無線が設置されている当院が指揮本部となり人命救助活動を行いました。12日の明け方から本格化した人命救助ですが,浸水がひどく,市街地でもボートで被災者を救出しなければならず,困難な救助活動となりました。今回の災害の大部分は津波被害であり,津波に襲われて一夜を明かした人,家を失い避難所に避難した人,浸水で自宅に取り残された人など,自衛隊などによって大勢の人が救出・搬送されました。

 3月11日は被災地の広い範囲で,午後から断続的に雪が降り,午後4時ごろはかなり強い雪が降っていました。津波にのまれた人,建物の屋上で救助を待つ人など,暖がとれない状況下で救助を待つ多くの人の体温を奪う「非情の雪」でした。天候は夜には回復し,満天の星空が広がりましたが,それもまた放射冷却で翌朝にかけて厳しく冷え込み,「無情の星空」となりました。

 初搬送された患者の多くは,低体温症や津波の汚れた水を飲んで肺炎となる津波肺,高齢者で持病が悪化した人などでした。救急患者数のピークは3日目,3月13日の1,251人で恐らく一医療機関が受け入れた数としては空前絶後でしょう。石巻管内の消防の救急車の多くが津波により被災したこともあり,発災当日救急車で搬送された患者は9人だけで,あとは自力で来院した人がほとんどでした。ヘリコプターの搬送件数は,13日には64機が着陸しましたが,着陸待ちのヘリコプター数機が上空で旋回するほどの状態でした。押し寄せる患者と治療が終わっても帰るところのない被災者であふれかえり,まさしく野戦病院の状態となりました。

 内には治療が終わっても帰れない患者や付添いの人たちが大勢いて,病院で毛布を配って一晩だけ滞在を認めましたが,このような状態が数日続きました。すぐに病棟のベッドは満床になり,健診センターなどに最大50床を増床しましたが,それでも収容しきれず仙台などへ搬送してもらうしかありませんでした。

 こから当院の長い長い戦いが続きます。予期することのできない様々な事態に対応しなければなりませんでしたが,職員一体となってこの困難に立ち向かうことで,地域医療の最後の砦として,その役割を務めることができたのではないかと思っております。DMATなど全国から応援にきていただいた多くの関係者に衷心より感謝申し上げます。

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第95号平成24年1月1日

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