令和2年9月1日
新型コロナウイルス感染症への対応から学んだこと
聖路加国際病院院長 福井次矢この著者の書いた書籍
2020年1月半ば,中国武漢から旅行で東京を訪れていた女性が呼吸器症状を発症,聖路加国際病院の救急外来を受診した。PCR検査を行ったところ数日後に陽性と判明,わが国における二例目の新型コロナウイルス感染症(COVID‐19)患者と診断された。その後,横浜港に停泊したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号からの患者さん数名を受け入れた期間(run-up)を経て,3月半ばから4月いっぱいの激増期(upsurge),5月中の漸減期(tapering off),そして6月以降の余波(aftermath)の期間を経験し,病院としても私個人としても多くの教訓を得た。
本稿執筆時の7月時点で,未だ余波の期間は続いていて,しかもCOVID‐19の第二波にいつ移行しても不思議ではない状況にあり,得られた教訓を体系的に述べることはできないが,現時点で思いつく点を列挙してみたい。
まず思い浮かぶのが「正しい情報入手の重要性」である。世界的規模の流行病(パンデミック)は,1918~1920年のいわゆるSpain Fluなど,人類の歴史上何度も起こっていて,その経験から,多くの人が正しい行動をとるためには,偽情報(disinformation)や誤報(misinformation)を信じることなく,正しい情報を得ることが非常に重要であることがわかっている。今般のCOVID‐19では,IT技術の普及による情報入手の迅速性と包括性に加えて,根拠に基づいた医療(EBM)の考え方が多くの病院職員に受け入れられていたおかげで,新たな疾患に伴う多くの不確実な事柄への対応も,かなり合理的であったと思う。
第二に,「情報の共有と集団注視下での決断の重要性」である。聖路加国際病院では,10数年来平日は朝9時から,院長の司会のもとベッドコントロール会議を行ってきた。本年3月半ば以降,この会議で話し合うべきCOVID‐19にかかわる事柄(入退院する患者さんのためのベッドのやりくり,新たな科学的知見,国や都の新たな方針等)が急増したため,4月以降,平日は午後3時からもう一回,そして週末も朝9時から一回,COVID‐19の診療にかかわる全部署の代表者が出席して会議を行うこととした。細かいところで意見が分かれやすい運用上の決定(健診業務を休止するのか―そしていつからか―,ゾーニング対象とする病棟や病床数・宿泊ドック病棟の閉鎖やスタッフの再配置,どのような手術や検査を不急と考えて延期すべきか,いつからどのような面会制限を行うのか,いつからオンライン会議を導入するのか,等々),COVID‐19に深くかかわる複数の診療科(救急部,集中治療室,感染症科,呼吸器内科,一般内科,検査科)間で意見の相違がみられる診断・治療方針などについてはすべて,30人前後の関係者(+オンライン参加者)が出席するこの会議で,院長采配の下で決定し,直ちにイントラネットや院内ガイドラインに収載して周知を図るとともに実践した。日々のこの会議がうまく機能したのは,全関係者の注視下にあらゆる事柄を決めたため,診療現場での実効性が担保されたことによると思われる。
第三は,「柔軟性」である。特定の疾患や患者層に特化して対応するのが目的ではない総合病院にとって,特に今回のCOVID‐19パンデミックのような有事下では,通常業務とは異なる目的と過程(プロセス)を求められるため,いかに柔軟性をもって対応できるかが決定的に重要となる。われわれの頭から「これまでこのようにしてきたから」という論理を排除し,行動できるかどうかである。聖路加国際病院では,集中治療室内部の感染防禦区画設定工事を思いついて2日以内に完了したり,患者さんとの接触を減らすためのiPAD40台の利用を思いついてから数日以内に購入したり,さらにはCOVID‐19への恐怖や不急手術の延期などのため受診患者さんが減った診療科の医師がCOVID‐19対応で忙しい医師の夜勤を代替するなど,あらゆるところで柔軟な対応が観察された。
最後に,「医療者の覚悟と役割」である。医療者全員,COVID‐19に感染するリスクがあることを知りながら,淡々と診療現場に赴き,素晴らしいケアを提供してくれた。医療に携わる者の究極の価値観―利他性―の発現であり,管理者としても頭の下がる思いである。病院職員には,病院収益のことは考えずに患者さんのケアと自身の感染防禦に全力を挙げてほしいこと,収益減の補填―国や自治体との交渉―は院長の責任であることを当初から明言していた私にとって,職員と病院に報いるためにはこれからが本番である。
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