令和6年1月1日
学びのプロセスのブラックボックス化
京都市立芸術大学客員教授 東良雅人この著者の書いた書籍
もともと中学校美術科の教師であった私が,昨今美術の関連で気になる出来事に,入力した文字情報から画像を生成できる「画像生成AI(人工知能)」の出現がある。これまでも写真をもとにレタッチするなどで新たな画像を生成するソフトウエアは存在していた。しかし,その後に登場した文字(プロンプト)を入力するだけで画像を生成してしまうAIシステムの登場は,私たちに大きな衝撃を与えた。さらに,アートイベントでAIの生成した画像が人の描いた作品を抑えて優勝してしまったという報道なども新たな衝撃となっている。
AIが,多様で精度の高い絵を描いてしまうことは,今後の学校教育において,図画工作や美術の授業などで「絵を描くこと」とはどういう意味があるのかを改めて確認しなければならないだろう。ここでは生成AIの是非を問うのではなく,中学校美術での「創造活動を通した学び」という観点からその存在を考察してみたい。
中学校で行われている美術の授業では,単に上手に作品をつくらせることや,定まった価値観を教え込むことが目的ではなく,知識を活用した発想や構想の力を育成したり,見方や感じ方を深め,鑑賞の力を育成したりすることなどが重視されている。そして,活動を手段としてその過程を通し,感性や想像力をはたらかせたり,造形的な視点を豊かにしたり,自分としての意味や価値をつくりだしたりしながら,生活や社会の中の美術や美術文化と豊かにかかわる資質・能力を育成することを目的としている。
ここで重要なことは,活動の結果ではなく過程を重視していることであり,「学び」のための手段と目的の明確化であろう。先述の画像生成AIは,テキストによってユーザーが描けないような画像を生成することができる。しかし,その過程は私たちユーザーにとっては完全なブラックボックスの状態である。これは,描くことを目的とした生成AIと,描くことを通して学ぶことが目的の美術の学習との大きな違いである。このことは決して美術だけに留まる話ではなく「学ぶ」ということに対する全体への問いであろう。それは学校教育においても,本来,手段である活動自体が教師や子どもたちの中で目的化すると,学習の過程は一気に“ブラックボックス化”してしまい,「学ぶ」ということの意味がわからなくなってしまうこととよく似ているからである。
今後,Society 5.0やVUCAといわれる時代や社会の予測困難な変化に対応しながら,一人ひとりの子どもたちにこれから必要な資質・能力の育成をめざす今,「何を教えるのか」というコンテンツベースから「何を学ばせるのか」というコンピテンシーベースを起点とした授業づくりが求められている。まさにこのことは,教えた結果だけでなく,学んだ過程を重視する転換にほかならない。
教育においてネガティブなイメージの強い生成AIの出現は,じつは私たちの「学ぶ」ということを改めて足元からみつめさせる存在なのかも知れない。
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