建帛社だより「土筆」

令和7年9月1日

日本食品保蔵科学会 創立五十周年を迎えて

一般社団法人日本食品保蔵科学会会長 東京農業大学名誉教授 髙野克己この著者の書いた書籍

般社団法人日本食品保蔵科学会は創立50周年を迎えました。1975年に「日本コールドチェーン研究会」として発足し,1987年に「日本食品低温保蔵学会」,1997年に「日本食品保蔵科学会」と改称し,2016年に一般社団法人へ移行,正会員・企業会員数は発足時の326名から1,500名を超える規模へと成長しました。この間低温をはじめ広範囲な食品保蔵技術に関する基礎および応用研究を推進し,食品の生産,貯蔵,加工,流通等に関する技術および機器の改善を図り,食品流通の合理化と食生活の安定を目的として活動してきました。

学会は,1965年に当時の科学技術庁資源調査会より出された「食生活の体系的改善に資する食料流通体系の近代化に関する勧告」(コールドチェーン勧告)を科学技術面で支え,冷蔵・冷凍によって食品のシェルフライフを延伸し,広範囲な流通を進めることが求められた時代的な要請に応え,設立されました。

立は,初代会長である故小原哲二郎先生(東京農業大学、東京教育大学・現筑波大学),故緒方邦安先生(大阪府立大学・現大阪公立大学)のお二人のご尽力によるものです。小原先生は食品製造や加工にかかわる科学技術の推進と産業界とのパイプ役,緒方先生は青果物の鮮度保持に関する研究の中心として,各々関係する研究者・技術者を指導し,まとめてくださいました。両先生は,学会を活性化すると共に,本学会の財政,学術基盤を築き,東京が食品加工,大阪が青果物の研究として学会活動の中心となりました。

務局は東京農業大学農芸化学科農産製造学研究室(現食料資源理化学研究室)に置かれ,現在も同じです。私は学会が設立された年,学部3年次に小原先生の研究室へ入室し門下となりました。以来、縁あって本学会と共に歩んできました。

 設立して50年ですが,学術大会の開催は74回となります。なぜ,設立年数と大会回数が違うのですか? とよく質問されます。当初,大会は東京と大阪で年に2回行っていました。東京はエーザイ株式会社の本社講堂,大阪は大阪府立大学(当時)の講堂で,午後からの半日開催でした。徐々に会員数,演題発表数も多くなり,特別講演,シンポジウムの充実等を図るため,1998年の第47回大会から年1回の2日間開催となりました。開催地は東京と大阪を含め,全国20余りの地域に拡大しました。

学会のテーマとする,食品の原料とその生産・加工には,地域によって特性があります。各地域による大会の開催は,独自の食文化や食品産業の様相を実感することができます。地域の課題に取り組み解決することは,本学会の目的の1つでもあります。

009年には,さらなる産業と社会貢献を目指し,食の安全にかかわるHACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)管理者資格認定事業をスタートしました。この事業は,食の安全管理に関する知識の学びと技術の獲得を目的とし,2025年には資格認定者が6,935名となり、着実に増えています。

のように,本学会誌表紙にも掲げている「Food Chain from Production to Sale」,「Quality Control and Traceability」,「Transport and Preservation」を実践しています。

年6月28日から2日間、北海道網走市にて創立50周年記念大会(第74回・北海道オホーツク大会)を開催しました。記念式典では,50五十年間にわたり本学会を支えていただいた団体・企業・個人に感謝状を贈呈しました。特別講演では,元農林水産省事務次官・末松広行氏(東京農業大学特命教授)よる「地域が活性化し,持続可能な社会を支える食品保蔵技術への期待」,農研機構NARO開発戦略センター副センター長・後藤一寿氏による「日本食品保蔵科学会五十年の学術・産業貢献と地方創生」の話題提供後に,網走市長の水谷洋一氏を加え,地域の活性化に対する学術と本学会の役割と期待についてパネルディスカッションが行われました。

た後藤氏からは,初代学会誌名「コールドチェーン研究」が「食品と低温」,「日本食品低温保蔵学会誌」を経て,現在の「日本保蔵科学会誌」となるまでの変遷と,これまで掲載された890件の報文および2,000件を超える,学会発表の内容と関係を分析した結果の紹介があり,50年の振り返りと次の50年の活動の方向性を考える機会となりました。

こに創立50周年を迎えることができたのも,発足当初から学会誌の発行を支えて下さった株式会社建帛社様のご尽力とお気遣いのお陰と感謝申し上げます。

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第122号令和7年9月1日

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