建帛社だより「土筆」

平成20年9月1日

福祉政策を住居の視点で捉え直す

国立保健医療科学院施設科学部                     施設環境評価室長  井上 由起子この著者の書いた書籍

 実した福祉で知られる北欧には「福祉は住宅にはじまり住宅に終わる」という言葉がある。そもそも欧州では住宅は社会資本として位置づけられており,個人が己の好き勝手に建物を計画できる仕組みではない。街並みの美しさを維持するための厳しい都市計画,適切な維持管理をしながら良質な住宅を後世に受け継いでいくという人々の意識。住宅が一代限りの個人の所有物という認識は皆無である。



 って日本人の住宅に対する意識はどうだろう。第二次世界大戦後の圧倒的な住宅不足を受けて,国家プロジェクトとして大量の住宅供給が進められたことはよく知られている。その中心的な役割を担った公営住宅は,量の供給を優先せざるを得なかったため,画一的な住棟計画・小さな住戸面積・エレベーターの未設置など良質な社会資本とは言い難い。



 えて,日本は自助努力による持ち家政策を中心に据えている。多額のローンを背負い込んで手に入れた住宅に対して,個人資産との意識が働くのは無理もなかろう。住宅双六のゴールは持ち家であるから,心身機能の低下や行動半径の縮小にあわせて住宅を移り住むことは許容しがたく,高齢者向けの良質な賃貸市場は成立していない。



 述したような住意識と通底しているのかは定かではないが,日本の福祉政策は適切な住環境を保障するとの考え方に乏しいようだ。今もって多人数居室が一般的である特別養護老人ホームや障害者施設では,プライバシーが阻害されアイデンティティが揺らぎ,危機に直面する人が数多くいる。介護を必要としない低所得者向けの養護老人ホームには1973年に個室化指導が出されているのだが,それ故に「介護の必要性があると最低限の住居すら保障されないのだろうか」と思うのは私だけだろうか。



 ちろん支払い能力がある人は,ホテルコストを負担してグループホームやユニット型施設に暮らすことは可能だし,その割合は増える一方だ。住生活基本法の基盤となる住生活基本計画の最低居住水準(25㎡,共同居住型の場合18㎡)が施設でも実現されるだろう。ただ,障害者施設や児童養護施設で始まった小舎制がこれだけの月日をかけても制度化しないのに,高齢者施設ではあっという間にユニット型が制度化されたことには,ある種の戸惑いを覚える。結局のところ市場や経済で賄いきれないものが先祖返りして狭義の福祉として残る。その事実を否定するつもりは毛頭ないが,そういった人々に対して住居をどう保障するか,そこを考えたい。



 らに言えば,介護の必要性という軸で施設種別が固定化される仕組みは正しいのだろうか。例えば,夫婦のどちらかが常時介護を必要とする状態になると,片方だけが施設に入所し,結果として別居状態になってしまうことなど,この構図はどこかおかしい。この状況を克服するためには,住居を住宅として保障し,必要なケアは効率性を鑑みながら外から届けたり,内在させたりするという仕組みを取り入れないとだめだろう。自宅,集合住宅,施設,その人やその夫婦にしっくりと馴染む住居を選び,介護保険を上手に使いながら,そこが住まいになればと思う。

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第89号平成20年9月1日