建帛社だより「土筆」

平成21年1月1日

栄養素と非栄養素の違いを考える

日本栄養・食糧学会会長            東京農工大学大学院教授  矢ヶ崎 一三この著者の書いた書籍

 年は食の安全と倫理に関する出来事の多い年だった。すでに多くのメディアでさまざまな立場から論じられているので,ここで繰り返すまでもないが,安全と倫理がともに保証されてこそ安心が得られるものと言えよう。



 方,食品そのものの意義について考えることも重要である。釈迦に説法かも知れないが,生命を維持するために外界から必要な物質を摂取し続けねばならないことを栄養現象といい,外界から摂取しなければならない物質を栄養素(五大栄養素)という。私たちは栄養素を食品から摂取する。この食品中には栄養素ではない物質,すなわち非栄養素も含まれている。ポリフェノールをはじめとする非栄養素に,疾病予防や健康増進によいとされるものがあることはご承知のとおりである。本学会でも,こうした非栄養素の効用に関する科学的証拠を示す研究が多数発表されている。



 て,栄養素と非栄養素の違いはいったい何であろうか。薬は両刃の剣とよく言われるが,適切な用量では薬効を示す一方で,過剰用量では,もはや薬ではなく毒物となる。このような観点から,食品成分,すなわち栄養素と非栄養素を眺めるとどうなるのだろうか。



 養素は,生命維持に必須であるため不足のリスクがあるが,適切な摂取範囲を超えると過剰のリスクが生まれてくる。一方,非栄養素は生命維持に必須ではないため不足のリスクはないのだが,適切な摂取範囲を超えると薬と同じく過剰のリスクを有することとなる。すなわち,「不足のリスクは栄養素にはあるが非栄養素にはなく,過剰のリスクは両者にある」ということになろう。



 の点は,サプリメントを摂取する際のキーポイントと考えられる。従来の研究手法で,摂取量の上限の概略は把握可能であると考えられるが,食品も生体も複雑である。したがって,基本の食事内容がどのようなものであるかによって,特定成分の摂取量のどこからが過剰(栄養素,非栄養素とも)であるかを明確に判定するのは極めて難しいと考えられる。まさに複雑系と複雑系の掛け合わせである。この分野でもオミクス技術など21世紀のテクノロジーが貢献することを大いに期待する。



 養素の不足と過剰について,脂肪肝を通したささやかな個人的経験を少し述べさせていただきたい。およそ38年前,大学院に進学した際,当時,所属した研究室において,全卵タンパク質のカロリーが全カロリーに占める割合(PC%)で5%含まれるときに,幼若ラット肝臓に脂肪が蓄積し脂肪肝を呈するという現象が見いだされていた。これはクワシオルコル(エネルギーは足りているがタンパク質摂取が不足している状態)に似ており,当時発展途上にあった国々においてマラスムス(エネルギーもタンパク質も摂取が不足している状態)とともに乳幼児に発症する病気であった。



 こで,全卵タンパク質5PC%含有食を与えた幼若ラットをクワシオルコルのモデルと考え,その際の脂肪肝発症機構を解明するのが私の研究課題となった。早速「肝臓病」に関する医学書を買い込み,肝臓と脂肪肝について勉強した。当時は,肥満や糖尿病による脂肪肝に関してはほとんど記述がなかったように記憶している。



 にもかくにも,全卵タンパク質含有20PC%食を対照食とし,同5PC%食を実験食として脂肪肝発症機構の解明に取りかかった。研究戦略としては,肝臓を中心に脂質代謝を考え,脂肪組織から肝臓への脂肪酸動員の亢進,肝臓での脂肪酸合成の亢進と脂肪酸酸化の抑制,肝臓からの超低密度リポタンパク質(VLDL)の分泌抑制の可能性の有無をあの手この手で探った。



 究の詳細については,いささか専門的になるのでここでは省くが,全卵タンパク質5PC%食による肝臓TG(トリグリセリド)蓄積の主因はアポタンパク質合成低下に基づく肝臓からのVLDL分泌低下で,これに脂肪酸合成ひいてはTG合成の軽度の上昇が加わって脂肪肝を惹起することが明らかとなった。このように,まずは不足の栄養の視点から脂肪肝に接した。



 は移り,今日の日本にはあらゆる食料品が満ちあふれている。さらに,社会システムの変化によるストレス・多飲・過食・運動不足など,生活習慣に起因すると判断される脂肪肝が増えている。そこで現在は,二型糖尿病モデル動物の脂肪肝に対する食品の影響を観察している。今昔と言うには38年の差は短いのかも知れないが,栄養の不足でも過剰でも起こる脂肪肝を通して,栄養・食糧状態の今昔を実感しているところである。



 「過ぎたるは及ばざるが如し」である。栄養のバランスはもちろん,心のバランスを保つことも大切な昨今である。

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第90号平成21年1月1日