建帛社だより「土筆」

令和2年1月1日

「障害」への「合理的配慮」について考える

一般財団法人特別支援教育士資格認定協会 理事長 関西国際大学大学院 教授  花熊 曉 この著者の書いた書籍

 016年4月の障害者差別解消法の施行によって,障害を理由とする差別等の権利侵害行為が禁止されると共に,社会のあらゆる場面で,障害のある人たちの社会参加を可能にするための合理的配慮が求められるようになった。しかしながら,障害への合理的配慮を巡っては,まだ十分に社会的コンセンサスが得られておらず,個々のケースへの対応について多くの論議が行われている状況である。ここでは,障害への合理的配慮を考える上でポイントとなる2つの点を述べたい。

 1は,合理的配慮が「障害のある人のためだけのもの」かという点である。実は,どのような人も,その人自身の心身の機能や個人的能力だけで日常生活や社会生活を送っているわけではなく,様々な場面で社会的サービスや支援(合理的配慮)を受けている。問題は,そうしたサービスや支援が,障害のない人を基準に制度設計されていて,障害のある人がその恩恵を受けられていなかったことにある(社会的障壁の存在)。

 えば,多くの人が集まる講演会では,話者の肉声だけでは後ろの人に話が伝わらないため,当然マイクとスピーカーが用意される。これは1つの合理的配慮である。しかし,この会場に聴覚障害のある人がいたとしたら,この配慮は役立たない。そのために,手話通訳者の配置というプラスアルファの合理的配慮が必要とされるのである。

 のように,合理的配慮は誰もが受けていることであり,障害のある人のためだけに行うものではない。障害のある人への合理的配慮が今求められているのは,障害のない人を基準に行われてきた配慮だけでは役立たないからなのだということを,ぜひ理解しておきたい。

 2は,「合理的配慮」という訳語を巡る問題である。合理的配慮の元となった言葉は英語のreasonable accommodationであるが,accommodation の訳である「配慮」という語には誤解が伴いやすい。accommodationの本来の意味は「調整」であり,障害のある人と周囲の人が協議して行うというニュアンスがあるのだが,これを「配慮」というと,「障害のない周囲の人たちが,障害のある人のために行う」というニュアンスが強くなってしまうのである。適切な訳語がなく,しかたがなかったことではあるが,「配慮」の本来の意味では,障害のない人が主語ではなく,障害のある人とない人の両方が主語である。それゆえに,障害への合理的配慮にあたっては,周囲の人たちだけで判断せず,障害のある人の要望や意見を聞いた上で実施することが大切だということを押さえておきたい。

 上,二つのポイントを社会の誰もが理解し,学校,職場,地域社会のあらゆる場面で障害への適切な合理的配慮が行われ,障害のある人たちが参加でき,活躍できる社会(共生社会)が形成されていくことを願ってやまない。

目 次

第111号令和2年1月1日

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