平成20年1月1日
メタボ雑感
杏林大学教授 石田 均この著者の書いた書籍
テレビをつけても新聞を開いても,「メタボリックシンドローム」という言葉が飛び込んでくるようになった。あまりに画一的に算出された基準値が,今や「錦の御旗」のようにひとり歩きをしている感がある。食べることや飲むことが好きで,しかもその結果がすぐに体重に反映される体質の自分にとり,この「メタボ」の指標は大変厳しい。
患者さんに栄養指導を行う立場にある内科医である自分の生活について言えば,遅い時間の夕食にもかかわらず,まず缶ビールを一本,それからウイスキーの水割りへと進む。
ところで,このウイスキーであるが,英語の綴りには,whisky とwhiskey の二種類がある。面白いのはこの2つの使われ方で,後者はイギリス・カナダ・オーストラリアなどイギリス連邦の国々で使用されている。一方,前者はアメリカ合衆国とアイルランドで使われており,両国の共通項は「イギリスからの独立」となろうか。合衆国の歴史については周知のとおりであり,一時期イギリスに征服されていたアイルランドは,今はイギリス連邦からも脱退している(北アイルランドは依然としてイギリスの領土)。
アイルランド共和国は,ヨーロッパ中央に居住していたケルト族がローマ人やゲルマン人に追われて辺境へたどりつき建国した国であり,イギリスのスコットランド地方やウェールズ地方も同様の歴史を有する。イギリスの厳しい統治下で,アイルランドの人々は民族の誇りを奪われ,自由を求め,アメリカへ渡った人も数多い。映画『タイタニック』で,三等船室の移民達が,黒ビールを飲みアイリッシュダンスに興じるシーンを記憶している方も多いであろう。しかし,新天地はWASPの支配する社会であり,移民達は新たな差別を受け,苦しい生活を余儀なくされた。やがて,各民族は独自のコミュニティを形成していくが,アイルランド人共同体の特筆すべき点は,自警団と消防団である。アメリカでは子どもたちの「ヒーロー」である消防士の一割はアイルランド系であり,警察官でも同様の割合を占めると聞く。アイルランド移民は英語が話せたので比較的早く社会に溶け込むことができたといわれるが,それは彼らの誠実で真面目な性格や,社会を守ろうとする勇気や貢献が認められた結果でもあろう。
今人気のあるアイルランド出身の歌手エンヤは,ケルト民族の誇りを込めた音楽活動を展開しており,その透明感のあるメロディは優しく耳に響く。ちょうど,アイリッシュウイスキーがなめらかに喉を潤すのと同じように。
「メタボリックシンドローム」の基準値は,国民のQOL(quality of life)を高めるために設定された指標であるが,その基準値とのズレに一喜一憂したり美味しいものを控えたりするよりも,適度にお酒を楽しみながら世界の歴史や文化に思いをめぐらす方がはるかに有意義ではないかと思う。
ちなみに,ウイスキーの語源はゲール語(ケルト族の言語)のuisge beathaであり,その意味は「命の水」であるという。
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