平成20年9月1日
おいしいことはいいことか?
畿央大学教授 山本 隆この著者の書いた書籍
よく知られているように食の三大機能として,①身体に必要な栄養素やエネルギー源を摂取する(栄養的な面), ②おいしく食べて幸せになる(嗜好性の面), ③身体の健康状態をさらに高める(機能性の面),があげられる。確かに,エネルギーのもととなる糖や油脂,タンパク質の構成要素のひとつであるグルタミン酸,ミネラルの代表としての塩化ナトリウムなどは好ましい味を呈し,欠乏すればするほどよりおいしくなる。学習によるものではなく,生得的な生理的なおいしさである。おいしさは摂取を促進させる原動力である。身体が消耗した物質を補充するまで摂食を続ける必要があり,その原動力になるのがおいしさである。食べ続けるうちにおいしさは減弱し,補充完了とともにおいしさも消失するのが本来の基本的な身体のしくみである。
このように,おいしいことを否定する材料は見当たらないようである。ただ,私がここで主張したいのは「おいしすぎることは必ずしもいいことではない」ということである。
おいしさには2つの目的がある。生きていくために必要なおいしさと快楽のためのおいしさである。前者は調理のおいしさとも言えるもので,そのままでは食べにくい食材に物理的・化学的加工を施しておいしく食べさせる目的である。和食の穏やかな味つけは食材の味を生かすことにも配慮した世界に誇るべき日本の文化でもある。問題となるのは後者で,いつでもどこでも,満腹であってもおいしい,いわゆる別腹のおいしさである。この際のおいしさは高脂肪,高カロリー,高甘味による。香辛料も脇役としておいしさを助ける。
おいしさから摂食が促進され,満腹感とともに摂食が停止する基本的な脳のしくみとしては,感覚性入力→報酬系の活動→視床下部の摂食中枢→満腹中枢と情報が流れ,脳内物質としては,β エンドルフィン→ドーパミン→摂食促進物質→満腹物質が対応している。それぞれ,快感→摂取意欲→摂食行動発現→満腹感に対応している。
摂食中枢までの活動は車でいえば摂食推進のアクセル,満腹中枢はブレーキである。飽食の時代に至るまでの長い歴史の中で,動物はこのアクセルとブレーキのバランスで適正な食行動を行ってきたし,多くの野生の動物は現在でもそうである。アクセルを踏み込ませるのはおいしさである。飽食の時代,おいしさを追求する文明社会では,食の強力な推進力の前では私たちのもつブレーキはあまりに非力である。歴史上予測もしなかったおいしさの氾濫なのである。効きの悪いブレーキをもった高性能スポーツカーのように,暴走し,危険である。
食糧難,物価高の現在から推し量るといずれ飽食の時代も終わりを告げるようになると思われる。そのときは,再びアクセルとブレーキのバランスが取れるようになるのだろうが,それまでの間,私たちは和食を中心とした食事をするとともに,食べ残しをしないように量を少なくし,腹八分目を心がけるようにすべきである。おいしすぎるものには,目の前に出す量を適度に加減するしかなすすべはなさそうである。とりもなおさず,これは食育の実践項目でもある。
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