平成25年1月1日
金魚と少年
鶯谷さくら幼稚園園長 松村 正幸この著者の書いた書籍
私の園に小さなビオトープが設置されています。池には,金魚やメダカが生息し,子どもたちも楽しそうに見ています。
ところが,年長児のA君が3回もその金魚を持ち帰ろうとしました。初めは,「家の金魚がいなくなったから」とのことでした。2回目は,その場を先生に見つかったとわかったら,すぐ金魚を戻して,「池をかき混ぜているだけ」と言い,そして3回目は,友だちと一緒に取ろうとしていました。さすがに担任も3回目にはどう指導したらよいのかわからず,園長である私のところに助けを求めてきました。
早速A君を呼びました。私に呼ばれた時点で,本人も危機的状況だと理解したようで,来た早々小さい声で「ごめんなさい」としょげていました。そこで私は次のような質問をしました。
「A君,もしも今度,お友だちが『金魚を捕まえよう』と言ったらどうする?」と。
私は,彼が即座に「もうしない」と答えると予想していたのですが,A君は黙って,下を向いてしまいました。しばらくして発した言葉は,「また,やってしまうかもしれない」でした。
彼がどうして金魚を取ることに固執するのだろう? ということについては,私自身解明できませんでしたが,一つ,不思議な気持ち……というより,嬉しく感じたことがありました。A君は,私に心を開いて本当の気持ちを伝えているということでした。
確かに自分の幼児期を思い起こすと,同じことで何度も怒られていたことのほうが多かったように思います。つまりそれは,一度言われても,なかなか大人の言うとおりには理解して動けなかったということではないでしょうか。
A君はまさに,そういう心情だったのではないかと思います。その彼の言葉に私は,こう答えました。
「そうかぁ,やりたくなっちゃう気持ちが出ちゃうんだよね。なかなか止められないんだよね」と。
大きくうなずくA君に,「そういう気持ちになったときは,ぞうさん先生(私の愛称)のところにおいで。我慢できないA君を助けてあげるから」と重ねて言うと,彼は「わかった」と少し,ほっとしたような表情を見せてくれました。
A君がなぜそのような行為を繰り返すのか,このやり取りは前述したようにその根源的な原因の理解・解決には結びつかなかったと思います。ただ,A君が心情をストレートに吐露してくれたこと,言い換えれば心の中の気持ちを見せてくれたことは,きっと彼をより理解すること,そして,今回の問題の解決につながっていくであろうことを確信しました。
40年近く保育に携わってきて,また,嬉しい体験ができた,子どもの気持ちを感じることができた瞬間でした。それは,私にとって充実した,ある意味,A君に感謝した瞬間でもありました。
その後のA君? 金魚は取らなくなりましたがね……そんなにすぐには人が変わることはありませんよ。やんちゃですよ,相変わらず。
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