建帛社だより「土筆」

平成26年9月1日

認知症の人の徘徊

医療法人社団翠会和光病院院長 一般社団法人日本認知症ケア学会副理事長  今井 幸充この著者の書いた書籍

 徊は,認知症を代表する行動障害のひとつで,その初期から中期に多く出現する。広辞苑によると「どこともなく歩きまわること」であり,一般の人が本人の意思で歩き回るのとは異なり,見当識や記憶障害など脳機能障害により生じる。また判断力も冒されるため,道に迷ったら,どうしたらよいのか混乱してしまう。

 徊にまつわる衝撃的なニュースが最近話題となった。平成19年12月に愛知県大府市のJR東海共和駅構内で,認知症で要介護四の男性(当時91歳)が徘徊中列車にはねられ死亡した。JR側がこの事故の損害賠償を家族に求めた訴訟の判決公判で,一審の名古屋地裁では,介護者の妻(当時85歳)とその長男にほぼ請求額どおりの約760万円の支払いを命じ,二審の名古屋高裁では,妻のみに夫の監督責任を認め,約359万円の支払いを命じた。

 の判決結果に多くの関係者は驚き,家族は24時間監視しなければならないのか,妻への監督責任義務は現実を無視した不当なもの,といった議論が飛び交った。しかし,この事故の損害をJR側が負うのもまた不合理である。うつ病の人が列車に飛び込み自殺したときは,その賠償責任は家族にある。それゆえ,法の下の平等を考えると,妻への賠償責任は免れないのかもしれない。

 NHKの調べでは,平成17~25年の9年間に認知症の人の鉄道事故は76件で,そのうち64人が死亡している。この現実を深刻に受け止め,各自治体は,川崎市のように「徘徊高齢者SOSネットワーク」などの地域連絡システムを早急に整備構築すべきである。また国や鉄道会社は,車の衝突被害軽減ブレーキのような安全装置の技術開発を進め,事故防止に努めるべきである。このたびの判決で介護者の監督責任を問うのであれば,以前から指摘されていた高齢者踏切事故の防止対策の遅れと,その杜撰さも責められるべきで,JR側の責任も問うべきである。認知症の人は,いまの物質文明の被害者と言ってもよい。

 成26年6月の朝日新聞デジタルによると,平成25年度に家族などの介護者から捜索願が警察に出された認知症高齢者は10,332人で,そのうち151人の所在が本年4月時点で確認できていない。さらに13人が住所,氏名が不明ということであった。平成26年5月には,群馬県内の介護施設で身元不明者として七年間保護されていた認知症女性がNHKの番組で紹介され,江東区在住の夫が名乗り出て再会したニュースも衝撃的であった。

 や65歳以上で認知症の人は約460万人で,85歳を超えると約半数が認知症と言われる。また認知症予備軍の軽度認知障害(MCI)は約400万人で,認知症の人は,その予備軍を含めると900~1,000万人の時代となった。この現状からも認知症はごく身近な疾患として関心が高まり,将来に向けた認知症政策の重要性が強調された。その矢先に2つの事件が報じられ,改めて認知症の徘徊問題を考えさせられたのである。

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第100号平成26年9月1日

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