建帛社だより「土筆」

平成26年9月1日

保育・教育界におけるアートへの眼差し

椙山女学園大学教授  磯部 錦司この著者の書いた書籍

 「“生きる営み”としてのアート」,「“知を統合する作用”としてのアート」,保育界や教育界においてアートへの眼差しが少しずつ変化していることを実感します。

 本の教育の歴史を辿ってみると,大正時代の自由画運動や戦後の生活主義や創造美術運動など,民主主義の実現ともかかわりながら,子どもの表現教育に目が向けられた時代は過去にもありました。今日では,情報化の急激な発展や,物にあふれ人とモノが二元化してしまった状況など,現代社会への危機感が,アートへの期待を膨らませているようにも思えます。

 かし,教育における現状は,作品の出来栄えや上手下手の評価による作品主義,結果主義,効率主義,表現教育の軽視においてアートが扱われているということは否めません。これは教育の問題だけでなく,社会風土の中にある,芸術や教育に対するとらえ方や考え方にも大きな要因があるように思われます。

 どもの知の根幹となる思考力や想像性,感性を育む営みは目に見えにくく,目先の結果を優先する社会の中で,そのような営みは位置づかないことが日本の教育観の中にもみられます。子どもが表現することの主体性や本来の意味,子どもが生得的に持ち得ているはずの「表現することの喜び」さえもが,削ぎ落とされているという事実も否めません。そして,もう一つの要因は,社会の中で“アートの概念”が表層的に語られているところや,美術作品や審美的な内容の範疇においてその意味がとらえられているところにみられます。

 「芸術は知を統合する」(J・デューイ),「芸術は教育の基礎である」(H・リード),「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」(R・フルガム)等の言葉にみるように,教育においてアートは「アートすること」,つまり,アートのプロセスにその意味が置かれてきました。例えば,2000年初頭,レッジョ・エミリアの実践が日本へ紹介されることによって幼児教育においてもアートという言葉は注目されましたが,「保育との一体化」または「生活としてのアート」という本質的なところにおいて,アートの意味が位置づいていくことには困難さがみられます。

 本の教育は,真新しいことに目を向け方法的に受け入れようとしますが,足元にあるこれまでの日本の過去の実践に目を向けたとき,そこにも表現と生活を真摯につなげ扱う実践は多様に存在してきました。今,重要なことは,本質的なものを大切にしながら,日本の子どもたちに根差した教育を足元に創造していくことだと考えます。その手段として,アートは大きな役割を果たすものとして期待されます。

 界の教育・福祉の先進国をみたとき,それらの国々は芸術に対する理解も深いように思われます。それは,「教育,福祉,芸術をどうとらえるか」ということが,現代社会のさまざまな問題に通底する共通の視点となっているからではないでしょうか。

目 次

第100号平成26年9月1日

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