建帛社だより「土筆」

平成22年9月1日

子どもの幸福に向けた保育政策への願い

日本保育学会会長 東京大学大学院 教授 秋田 喜代美この著者の書いた書籍

 ども・子育て新システムの提案が6月末に内閣府より出された。子ども手当てや待機児童対策など,乳幼児に関連する行財政政策が新聞等に取り上げられることが多くなってきている。しかしこれが,選挙の目玉等にされるだけではなく,生活を子どもの視点から大事にするという,日本が歴史的に大事にしてきた保育の哲学を重視し,長期的な展望に立って子どもたちが健やかに育つための制度設計への建設的な議論になっているのかといえば,疑わしい。保育の質を向上させていくためには,国の責任,大人の責任として何が必要なのかというところでの本質的な共通基盤や共通の展望が求められるところである。



 本保育学会では,今年の4月,村山祐一委員長のリードのもとで保育政策研究・研修企画委員会による「保育所における新たな子育て基準に関する全国会議員アンケート調査」を実施した。全国会議員が対象で,722名に対して行った。回答が寄せられたのは全体の約一割にあたる76名の方のみであり,実際には議員の人たちが保育や子育て支援には関心がとても低いということ,回答いただいた人たちの中でも「国による最低基準が必要」とする人は6割にとどまり,「国による部分的基準は残しても他は自治体の判断に」という方向の意見も3割強はみられるという結果になっていた。



 域の格差,家庭の経済格差の増大が顕著になってきているときに,地方自治体へ権限を移譲し,さらに株式会社の参入等の市場原理に,国の規制なくゆだねていけば,子どもたちの園生活は子どもや保護者,保育者の思いとは裏腹の方向にいってしまうのは明らかである。子どもも保護者も保育者も誰もが,人生出発点の時期にある乳幼児が自分の居場所をもって安心し,夢中になって自己実現をできる保育の場を形成していくこと,親が親になっていく喜びを享受する場を保障し,保育者が専門家としてその専門性を同僚と共に発揮できる場となることを望んでいる。さまざまな園の実態をもとにその保障のあり方のコンセンサスを創っていくことが求められているといえるだろう。

 

 本はOECD(経済協力開発機構)のさまざまなインデックスで見る限り,保育の公的投資が先進国の中で最も低く,平均世帯収入の7%である。またそのうえ,公的投資が30%を超えるフランスやフィンランド等北欧の多くの国が,乳児では現金支給でも幼児以後は現物支給をして保育の質を保障するのに力を注ぎ,現在子どもの中でも特に乳幼児期に集中投資を厚く行っているのに対して,日本は子ども手当てでの現金支給をどの年齢どの階層にも行い,かつ学童期以後に公的投資が集中しているという,国際的にみるときわめて非効率な保育・教育政策をうっている。



 らには,男女共同参画,子育て支援,少子化対応,保育教育と,各省庁で「実はなぜ保育が重要なのか」にかかわる理念や説明が一本化されていない。しかも子どもが中心に語られているのではないという政策の統一感のなさも,OECDのグリア事務総長からも指摘されているところである。



 自身幼稚園や保育所での園内研修等にかかわらせていただき,個々の園の先生方がどれだけ保育過程の質を少しでも上げようと日々努力されているのかをみてきている。しかしそれが,子育てとは直接関係がない人や関係がすでになくなった人,子育てを人任せにしている人たちには伝わっておらず,子どもが社会の重要な一員であることが認識されていないし,伝わる回路も十分に形成されていないように思う。最も小さく社会の中で脆弱である子どもたちの中にこそ,最も大きく豊かな日本の未来への可能性があることを社会に対してよりよく理解してもらえるように,地域の中で子どもについての語りの輪を広げていくことが求められる。またそれとともに,保育にかかわろうと志す保育者の養成機関においても,個々の保育の方法や内容だけではなく,この日本が置かれている現状とこれからの社会への展望を共有できるようにしていくことが大事なのではないだろうか。そして学会も学術研究にとどまらず,子どもを中核とする社会形成のための役割を担う時期にきていると感じている。

目 次

第92号平成22年9月1日