平成23年9月1日
大学における化学教育雑感
愛知学泉大学教授 小栗 重行この著者の書いた書籍
戦後,日本の奇跡的な経済成長を支えてきた原動力の一部に,国民の理科力が大きく寄与したことは疑う余地もない。しかし,高度成長を成し遂げた現在,国民の価値観も大きく移り変わりつつあると同時に,次に目指す到着点を見い出せないまま混沌とした情況が久しく続いている。
一方で,若者の理科離れが進んでいると耳にする機会が多い中,医療系や栄養系の大学を目指す若者(高校生)が増えている。医療系,とりわけ看護系・栄養系を学ぶうえで化学を含む理科力が必要となることに異議を唱える人はいないはずだが,入学してくる学生の大半が高校で化学を履修していない。この背景には,受け入れ側である大学が履修過程で必要とする化学を受験科目に課していないことがあげられる。同時に,送り側である高校も大学で履修するうえで化学が必要か否かを生徒に周知させていないこともあるかもしれない。
この現象は,曖昧模糊とした日本の社会情勢を映し出しているようにも思える。このような情況下,大学で化学の授業を担当し,早18年が過ぎた。ご多分に漏れず,最近では化学をほとんど履修していない学生を初年度で教えることになり,自身が大学で学んだ内容をそのまま教授することは無理となってしまった。もし実施しても,消化不良で無駄な時間を学生に強要してしまうことになる。加えて,化学と名の付く教科は基礎化学から応用化学まで,その範囲は多岐に及ぶ。これらすべてを医療系に属する学生に限られたコマ数の範囲で教授することは不可能であるし,意味もない。だからといって,高校の焼き直し的な化学でもよいとは考えたくない。
私は化学の授業内容を考えるに,とりわけ医療系の学生には理工系のそれとは異なる独自の内容が求められ,同時に,理科離れを払拭することが大切と考えるようになった。そこで,化学の授業で学生に何を学んで欲しいかということを考えてみると「化学」=「物質学」という結論に辿り着いた。すなわち,「物質とは何か?」「なぜ,地球上は多種多様な物質で溢れかえっているか?」など身近な話題から物質の真髄にできるだけ迫り,いくつかの例を示しながら説明し,理解してもらうため多くの時間を費やすことにした。
また,化学は難しいという声をよく耳にするが,化学を理解するのに近道も裏道もなく,はしごを一歩一歩踏みしめながら登る以外道はない。はしごの一段が欠けても上には登れない。このことをわきまえて実行すれば,思いのほか簡単にはしごを登りきることができ,同時に化学は興味をそそる学問であることに気づくはずと,学生に伝えている。さらに,このことは単に化学の勉強法に留まらず,社会に出てから乗り越えなければならない多くの課題対処法の一指針にもなりうることも話している。
最後に,今年(平成23年)の3月,未曾有の東日本大震災が勃発し狼狽する政府や関係機関を見聞きするとき,戦後の焼け野原で当意即妙に対応し,復興に尽力した日本人の話が頭の中をよぎる。今回の大震災を教訓とし,次の日本を支えるであろうグリーンイノベーションやライフイノベーションなど新分野の推進に,さまざまな分野で化学を学んだ国民の発想が貢献できる国の黎明期となることを期待したい。
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