平成26年9月1日
保育者研修雑感
鎌倉女子大学教授 小泉 裕子この著者の書いた書籍
子どもの育つ環境が著しく変化する中で,研修制度のあり方が保育関係者の議論の中心になっている。研修を管理担当する方々の苦労を十分理解しながらも,そのあり方について問いを投げかけたい。
筆者は,保育士研修プランに定期的にかかわる機会がある。ここ数年,研修内容の調整に悩むことがある。研修管理者は,現職者のニーズを取りあげていく方針を主張し「実践に役立つもの,身体を動かし業務上のストレスを発散させるもの」を例とし,「保育者自身」に有益と思われる内容を提案してくる。一方,私たちは,保育の基幹となる保育観の振り返り,教育・保育課程の基本的な構造に基づく実践計画,いわば「子どもの育ち」に焦点を当てた保育技術等を提案していく。どちらも重要なことであるが,優先すべきテーマに隔たりがあり,折り合いをつける難しさを実感する次第である。
あるとき,研修管理者から思わぬ本音を聞いた。「職員は日々の実践で疲弊しているのだから」という発言だった。保育者研修のあるべき姿に,一石を投じる発言であった。そのとき私は三十年前の自分を振り返り,研修の効果を思い出していた。他園の保育者に出会う喜びや外部講師による教示は,実践を向上させようと願う私にとって,価値はあっても負担に思うことはなかった。しかし時代とともに保育者の役割が多岐にわたったことで,研修の機会が増え,当事者にとって研修の意味もさまざまになっているようだ。研修を通して自己の専門性を高めていくという研修パラダイムは,講師側の一方通行なのだろうか。養成校の教員間では,「そもそも保育者は専門家としての意識を持とうとしているのか」という問いさえ出ている。研修を通して保育者は何を得ようとしているのか。「保育の専門家」という肩書きばかりの充実よりも,日々の内的充実を願った研修を求めているのだろうか。
では保育者研修は,現職者の内的充実を図るためにあるべきか,というと,それだけでは子どもの充実を保障することができないと批判的に問いたい。保育者は子どもや保護者の前において「保育の専門家」でなければならないと筆者は考える。保育に疲弊する保育者がいるならば,むしろ,園の方針に信頼を置き園児の保育は任せてほしいという精神的宣誓をするくらいの良い実践をするべきではないか。子どもの保育に対する期待や信頼を裏切らない質の高い保育を実践することこそ,保育の専門家としての使命ではないだろうか。
研修を血肉として教育的自信をつけていくことを,保育者にはむしろ楽しみにしてほしいと願う。学び続ける保育者は,自分自身の喜びをたくさん見つけられる人である。疲弊を実感するよりも,保育の小さな喜び,ささやかな充実に敏感な保育者を育てることのできる研修内容にしていきたいものである。いつの時代も変わらない保育者の使命と,時代に即応した保育者への期待を今一度受け止め,喜んで自己研鑽に励むことのできる人,そんな人が保育者であってほしいと願って止まない。これは保育者養成者の使命だと思っている。
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