平成27年1月1日
「小さく産んで大きく育てる」ことは正しいことか?
早稲田大学総合研究機構教授 福岡 秀興この著者の書いた書籍
日本で今低栄養が深刻な問題となっている。出生児の体重が小さくなっており,低出生体重児が約10%にまで達しているのである。これは妊婦の栄養状態が望ましくないことと次世代の健康が危惧される状況を示している。しかし「小さく産んで大きく育てる」ことが良いという考えが今もある。
これに対応する英語を検索したが見いだせなかった。逆に「小さく生まれ,急速に大きく育った児」は,疾病発症リスクが高いという英語表現は多い。前者は意図して「小さく産む」の意を含み,後者は意図せず「小さく産まれた」場合には,の意味があり,異なっている。意図して小さく産むという考え方は外国には存在せず,日本特有であるとすら思われる。
出生体重の低下により,糖尿病・虚血性心疾患・高血圧・精神疾患群等の発症リスクが高まることは,疫学研究から明確となっている。その機序は子宮内の低栄養により起こるエピジェネティクス(*)変化であり,一部は一生,さらには世代を超えて続くことも明らかとされている。日本はそのような人々の集団に変化しつつあることが指摘されてもいるのである。出生体重の低下は個人の健康に加え,社会全体の質の低下をもたらす可能性があり,これをテーマとした経済学的研究も国内外で盛んに行われている。
出生体重の低下には遺伝因子,環境化学物質,喫煙等多くの原因があるが,貧しい食生活・体重が十分に増えない妊娠経過を示す例の多いこと等を考えると,栄養はその大きな要因といえる。胎児期,乳児期に低栄養に暴露されるとそれに適合する代謝系が形成され,その後に栄養豊富な環境で生活すると適応できずやがて疾病が発症する(ミスマッチ現象)。糖尿病患者が著増しており,その七割が経済的に発展している低・中所得国であることからも,その機序としてこの考え方は理解できる。これを生活習慣病胎児期発症起源説というが,さらにDOHaD説(Developmental Origins of Health and Disease)に発展している。
「オランダの冬の飢餓事件」や,4,000~6,000万人が餓死したと推定される「中国の大躍進事件(1959~1961年)」のときに生まれた人々から生活習慣病・精神疾患が高率に発症している。日本をみると,妊婦のエネルギー摂取量は著しく少なく,他の栄養素も当然少ない。ケトーシスやホモシステインの高値を示す妊婦も多い。疾病リスクの高い児の生まれる可能性が危惧される。しかし,出生後の育児方法,栄養によりリスクを低下させ得ることも明らかになってきた。次世代の健康を確保するために,栄養を専門とする人々は,妊娠する前,思春期以前からの栄養の重要性を発信していく責がある。これこそが疾病リスクの高い集団を健康な人々に変えていく基本であると考える。
*遺伝子DNAのメチル化やヒストン蛋白の化学修飾等により遺伝子の機能が調節されているが,これをエピジェネティクス制御といい,生命現象の基本ともいわれている。
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