令和元年9月1日
改元と時代の気分
神戸女子大学教授 山田 勉この著者の書いた書籍
中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句には,明治を知らなくとも,ある年代以上には共感できるものがあります。坂道を上ってきてふと振り返ったときに,遠くまできたものだと息をつく,その感じは大人なら誰にでもわかるからです。
高齢者の述懐ともみえるこの句は,実は草田男30歳の作。まだ若いのですが,昭和になって大正時代の向こうに明治をみたので,一層遠くみえたのでしょう。
この五月に平成が終わり令和へと元号を改めました。昭和は30年以上のかなたに遠ざかり,草田男の名句よりもさらに遠くなりました。昭和に生まれ育った者としては,つい懐旧を感じてしまいます。あの大戦争の悲惨も知らないのに,昭和と聞くと,それをひとつの時代と感じる気分がどこかにあります。
昭和は64年まで続いた日本最長の元号で,明治の45年がこれに続きます。元号の長さは,慶応が4年までだったように,短期間がほとんど。近代では短いと感じられる大正の15年も,歴史の中ではむしろ長い部類です。つまり近代の元号は並外れて期間が長く,それまでの伝統とは少し変わった性質をもっているのです。
元号はもともと中国由来で,皇帝が時間を任意に区切る制度です。それを模倣した日本の制度も同様で,金や銅は輸入品と思っていた奈良時代に国産銅が見つかれば,和銅と改元して喜び,疫病や災害があればこれを振り払うように改元しました。いわば改元は,それによって時代の気分を変える儀礼だったといっていいのです。災厄の多かった時代に長期間続く元号が少なかったのは当然でしょう。
近代の元号は,天皇の在位や名と連動するようになりました。明治天皇の父である孝明天皇の名は元号にはありません。維新後に元号の性質は大きく変わったのです。現在の元号法はこの新方式を踏襲し,皇位継承のときのみ改元すると定めました。
改元に,明治以前のような時代の気分を変える儀礼としての機能は今も残っているでしょうか。ネットで世界がつながっている時代に,日本だけの元号が必要かという議論もあります。合理的に考えるなら,実務上は西暦だけのほうが便利です。
令和改元前の夜,TVは渋谷駅前交差点を埋めた大群衆の異様な興奮を映していました。時代が変わるという感じが画面にあふれ出ていました。カウントダウン,まるで新年を迎えるような気分です。法律も制度も関係なく,いつもの1日が過ぎただけなのに,生まれ変わった新しい年が,新しい時代が来るという祝祭感がそこにはありました。
新年のような,めでたい気分はいいものです。改元が,法律とは無関係に,神社のお祓いや厄落としのような働きをみせていたといえるでしょう。なるほどこれは祝祭なのだと思う一方で,1日は1日でしかないことも事実です。時代を祝う感覚と,前の時代のことを忘れてしまうのではなく,直視し続ける意識が両立する世の中でなくてはと思った改元の夜でした。
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