建帛社だより「土筆」

平成29年1月1日

不安なんのその海外美術教育調査ウラ話

元宇都宮大学教授  山口 喜雄(のぶお)この著者の書いた書籍

米・オセアニア・アフリカ・アジア20か国の著名美術館や諸学校にて2009年からの6年間に,複数の大学教員チームで面談調査を行った。グラビア三十頁を含む計470頁の英日新対訳科研A報告書2冊に書けなかった現地でのエピソードを綴りたい。
 訪問はシカゴ美術館とNY市のメトロポリタン美術館。渉外のF教授は多用でアポなし,到着日にメールで両館宛に面談依頼をした。次善の調査をし,返答待ちの間にF教授は留学当時の同級生に電話依頼,厳重警戒の国連ビル内の見学ができた。最良ビュー34階トイレからのクライスラービル眺望はグラビア頁に所収,移動前日に両美術館とも取材が叶った。
 か月後の夏,今度は事前アポをとり伊・バチカン・仏・西の4か国を訪ねた。だが,英語が堪能なF教授が抜け不安は増した。フィレンツェのピッティ宮殿美術館へ定刻に出向いたが30分待ち。担当者は休暇をとり教育担当でない学芸員が応じた。肝心の質問には担当でないので…と。数か月前の事前確約は反古である。
 チカン美術館は無料公開日で長蛇の列,暑がりなA教授は短パンのため入場不許可で着替えに往復し1時間半遅れた。だが,大らかな民族性で面談後に奥の院のような礼拝堂に特別拝観の機会を得た。ルーブル美術館で美術館教育の始原を問うと,フランス革命と明晰に語った。人権宣言の思想が子どもや教員のための美術館教育重視に結実していた。バルセロナのピカソ美術館では2005年以前の23年間の前館長は子ども対象の企画が皆無,以後の現館長はピカソ芸術の真の理解のために教育普及を推進したと語る。公式サイトには決して記されない述懐に驚喜した。
 ・蘭を2010年調査,ロンドンのローハンプトン大学では美術教育の授業参観中に人型を模造紙に女学生7名が描くモデルに筆者がなった。コートールド協会美術館では,冗談まで同時通訳できるY子氏のお陰で和気あいあいの面談になった。日本で再会,Y子氏は英国留学時に現代日本美術教育の聖典『芸術による教育』の著者H・リード卿の令息ベン先生の授業を受けたという。令息への面談取材は2013年に実現した。私費で用意したお礼の寿司ストラップをゴッホ美術館教育担当者に歓喜され,想定外の貴重資料をいただいた。
 2011年,それまでの欧米面談の英日報告書を刊行,筆者の科研サイトにアップ後はアポが楽になった。2012年のメキシコでは,小泉元首相通訳も務めたK氏が日本を代表する調査団と伝えると非公開作品も閲覧できた。2014年,困窮のアテネの公立小学校からの描画材寄贈依頼に応じた。授業参観後に全職員9名調理の昼食会で歓待された。同年,タヒチでは小学生100名の伝統パフォーマンスで歓迎された。男性教師全員に刺青があり身構えたが,ipadで構想する「タトゥーのデザイン」,紙に筆と絵具で描く「私のタトゥー」を参観,ポリネシア伝統美術であることを知った。保護者主催の昼食会は笑顔で交流できた。
 2016年に渡航注意のトルコ,モロッコ,他の国々でも不安なんのそのエピソードの連続であったが,別の機会に譲る。

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第105号平成29年1月1日

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