はじめに
俳優,エッセイスト,そして映画監督でもあった伊丹十三は,その作品『タンポポ』の中で,日本人と食について,いくつかの視点から表現している。
例えば,「自然食で育てています。甘いものを与えないで下さい」と書かれた木の札を首に下げた3歳くらいの子どもが公園にいる。隣のベンチに座る中年の男がその木札を確認した上で「うまいぞ,食べてみろ」とソフトクリームを差し出す。次の映像でその子どもは,口をクリームだらけにして夢中でソフトクリームにかぶりついている。
ラストシーンは,生まれて間もない赤ちゃんがお母さんのおっぱいをグングン飲んでいるショット。他にも,銃弾に倒れたヤクザが死の間際に恋人に向かって「これまで食べた中で一番おいしかった物」の話を延々とするシーンもある。「恋愛と食」「マナーと見栄と食」「社会的地位と食」など,クスリと笑えて,チクリと皮肉を感じるものが多い。日本人の食文化という概念に特化してはいるものの,海外でも高く評価された。
本書を手に取った方の食に関する思い出は,どのようなものだろう。最も古い食の記憶は? それは,なぜ心に残っているのか? また,旅先の海外での料理の味,香り,食材の形などに衝撃を受けたことはあるだろうか。
食は,人間にとって生命維持に欠かせないものである。口から摂取した栄養と水分とで生物はできている,とだけ考えると少し味気ない。しかし同時に,美味しく食べることはどの時代の誰にとっても楽しく嬉しいことで,料理する行為と共に,人間だけに許されたものである。さらに食は,帰属する家族や地域,国や宗教でくくられる部分も多く,その伝統は連綿と続き,時に新たな部分を加えて受け継がれてゆく。
近年,日本の食文化について,海外の評価は目立って高い。日本にルーツを持つ者よりも,世界中からの旅行者の方が詳しい場合もあるほどだ。SNS によって情報は時間的・距離的に短縮され,量的には飛躍的に増大している。
日本の食文化は 2013 年,ユネスコの無形文化遺産に「和食;日本人の伝統的な食文化」として登録された。特定の食材や料理法ではなく,日本人の食のあり方そのものが貴重で稀有なものと評価されたのである。10 年経った今,私たちにとっての「和食」はどう変化したのか,本書ではそのことにも触れている。
日本以外の国々の食事の文化,歴史上の出来事,文化の融合,現代の食とその問題点など,様々な食文化について学んでゆこう。
2024 年 5 月
編者 小川聖子
あとがき
食文化という言葉が日本で使われるようになったのは1980年代以降である。それまでは 「食生活」 という言葉が,歴史学や民俗学 栄養学の分野において食の研究や教育の内容を表す際に使われることが多かった。一方,海外で食文化の研究が始まったのも1980年代であり,これには日本の研究者が少なからず貢献していたことが知られている。食べものや食事を文化としてとらえ,研究や教育のテーマとしてきた過程において,日本が果たしてきた役割は大きい。食文化を研究し,学ぶことの大切さを世界に先駆けて考えてきたのは日本と言ってもよいであろう。
食文化には,食料生産や食料の流通,食物の栄養や食物摂取と人体の生理に関する観念など,食に関するあらゆる事物の文化的側面が含まれている。そのために,食文化の研究や教育,学習のためには幅広い視点が必要になる。食文化を探究するためには,それぞれの分野の専門的な知識,研究方法が必要になることは言うまでもない。同時に,複数の分野をつなげて考えていく学際的な視点が必要になる。
この本は,家政学,栄養学の学生をはじめとする食文化の初学者にむけて書かれた本である。そのねらいは,食文化を理解するための多様な視点を提供することにある。いわば,学際的な視点をもつための第一歩といってもよい。人間の食べるという営みが個体の生存や成長のための栄養面での充足を果たすだけではなく,心理的,社会的な充足を果たしていることを学ぶことによって,他者を理解し,自分自身をふりかえり,人間とは何かという大きな課題を考えていくことにつながっていく。この本の役割はそのきっかけを作ることに他ならない。
食文化の研究が本格的にはじまってからまだ半世紀にも満たないが,人間をとりまく食の環境が大きく変化してきたことはまぎれもない事実である。一方で文化には,水平方向に広がるとともに,垂直方向に受け継がれていくという性質がある。食文化にもグローバルに広がる側面と,連綿と続く歴史が存在する。本書を通して,食文化の世界と歴史を存分に味わってもらえることを願っている。
なお,本書を編集するにあたり,建帛社の青柳哲悟氏には大変お世話になった。編者を代表して心より感謝の意を表する。
編者 野林厚志
編者 野林厚志