建帛社だより「土筆」

平成24年9月1日

野菜をミクロのレベルで理解する

広島大学名誉教授  田村 咲江この著者の書いた書籍

 菜たちをじっと眺めてみる。色彩が豊かである。持ち上げてみると葉の部分以外は硬い。同じ生き物の一部でも肉の柔らかさとは大違いである。

 と野菜にはどうしてこのような違いがあるのか。硬い野菜も煮ることによって軟らかくなるのはなぜ? 筆者は長期にわたって教員養成機関に勤務していたので,このような疑問を学生や生徒に視覚的に説明できればよいと考えた。そこで光学顕微鏡や電子顕微鏡を用いて各種野菜の組織構造を観察し,また調理による変化も調べた。

 菜はおいしく柔らかい柔組織の部分が多くなるように長い年月をかけて人間が改良したものであるが,基本的には野生の植物と同じで葉・茎・根といった器官の集合体である。それらの器官は細胞が集まってできているが,肉も野菜も細胞は核やミトコンドリア,ゴルジ体など生の営みに必要な仕組みを同じくもっている。違っているのはその他に筋肉の細胞には運動するための収縮・弛緩を行う筋原線維が充満しているのに対して,葉の柔細胞では光合成を行う葉緑体や巨大な液胞が存在していることである。葉緑体は初め糖質を合成するが,それをもとにして植物はタンパク質,脂質,カロテノイド,その他いろいろな有機物を合成する。サケのような魚のもっているカロテノイドもエサとして食べた植物のカロテノイドに由来している。野菜のミクロの構造を見るとその構造と働きは切っても切れない関係にあることがよくわかる。野菜を悪条件で貯蔵すると葉緑体が悲鳴を上げているような像が観察された。

 に,なぜ肉は柔らかく野菜は硬いのかである。動物は動くために筋肉が柔らかくなければならない。柔らかくても骨格があるから形を保ち立っていられる。それに比べて植物は骨格に相当する器官をもたない。そのために細胞間の接着物質を硬くして身体全体を固めているのである。細胞の外側は細胞壁で取り囲まれ,隣り合う細胞同士はその間を緊密に接着されているので全体として硬い塊となっている。地下に張り巡らされている硬い根は,強風でも容易に倒れないように上部を支えており,光合成に必要な太陽の光を浴びせている。

 菜の細胞壁の詳細を電子顕微鏡で見るときわめて精巧につくられていることに感動を覚える。セルロースからできた繊維が巧妙な仕組みで重なり,その間をペクチンが塗り固めて硬い壁をつくっているのである。野菜を煮ると軟らかくなるのは,ペクチンが分解されて細胞壁から溶け出すためである。

 のたび出版された『野菜をミクロの眼で見る』には,これらが写真で説明されている。その他に神経組織をもたない野菜の情報伝達の仕方やナスが油をよく吸う理由,調味料は煮え方に影響するか,などなど日頃感じる多くの疑問を解き明かす顕微鏡写真が,多数掲載されている。酵素分解で野菜を軟らかくした介護用食品の開発も紹介している。

 菜を利用する際に野菜の内部でどのようなことが起きているのかをミクロのレベルで理解することは,調理法の理解を助けるとともに食べ物を生き物として見る視点が養われて,食育の観点からも意義深いことと考えている。

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第96号平成24年9月1日

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