建帛社だより「土筆」

平成24年9月1日

インフォームドコンセントと自己責任

新潟ビジネス専門学校委託訓練企画室室長  西方 元邦この著者の書いた書籍

 の幼年期から青年期にかけて,医師は「お医者様」と呼ばれ,患者は,その豊富な医学知識に基づく診断,診療行為を,いわば「神のお告げ」として聞き,医師の判断にすべて任せていた。その歴史的背景にあるのは,日本での医療は,医師と患者の一対一の関係から始まっており,戦前までは医療専門職は医師・歯科医師・薬剤師のみであったこと,看護師は「診療の補助」をする者として,医師の部下と位置づけられていたことなどがあげられるであろう。かつては医師の判断・意見に反論することなどは考えられなかった。「先生の一番よいと思う治療をして下さい」というのが常識的な考え方であったわけである。

 かし,時代は完全に変わった(この文言は自分が年をとったようで嫌なのだが)。患者の意に沿わぬ診療行為で,後遺症が残ったり,副作用が出たり,寿命が縮んだりすれば,それは即「医療訴訟」になることも珍しくない時代になった。そのリスクを避けるためにも現在の医療行為は「同意書」のオンパレードの感が強い。

 景には医療法の改正で「インフォームドコンセント」(IC:十分な説明による患者の承諾)が義務となったことも無論あろう。だが,それ以上に患者イコール顧客(ユーザー)であり,医療機関が患者の獲得のため,患者およびその家族の声に真摯に耳を傾けることに努めるようになった時代の変化がやはり大きいと思える。

 在,「患者の権利」は非常に大きなものとなっている。一例をあげれば「入院診療計画」は主治医,看護師等により共同で策定され,文書により交付し,患者の署名を必要としており,これが実施されない入院は入院料の算定ができないことになっているほどである。

 ICは医療行為を実施するうえで欠かせない重要なことである。しかし,そこには同時に患者自身の自己責任を伴うことが見過ごされがちである。

 えば,肺癌の患者がいたとしよう。「手術をすれば完治できる」と確信した主治医が,言葉の限りを尽くして患者に,「病状,手術の有効性・危険性,手術以外の治療法やそのリスク」を説明した(IC)としても,患者が手術を拒否すれば,医師は患者の意思を押し切って執刀することはできない。手術を拒否し,その結果,死期が早まっても,それは医療提供側の責任ではなく,患者の自己決定権に基づく自己責任となる。

 療提供側の姿勢は謙虚になり,患者と対等な立場となった。チーム医療の中心にいるのは,三十年前なら医師であったかもしれないが,今は患者である。現在は大変な情報社会であり,その気になりさえすれば,どのような情報でも手に入れることはたやすい。医療情報も同様である。ICは医療には絶対に必要である。だが,患者がインターネットで仕入れたような浅はかな医学知識で,自分の健康を管理する危険性は十分に認識しなければならない。自分自身が本当に心から信頼できる主治医をもつことの重要性を改めて認識すべきである。

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第96号平成24年9月1日

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