建帛社だより「土筆」

平成24年9月1日

東日本大震災の教訓 福祉避難所は機能できたか?

岩手県立大学准教授  都築 光一この著者の書いた書籍

 日本大震災の社会福祉の分野に対する問題の投げかけは,様々な意味で深刻である。被災地は,人口が減少している一方で少子高齢化が進行していることから,社会福祉の対象者が増加している地域なのである。そんな東北という地域に,未曾有の大災害が発生した。このようなとき社会福祉の対象者のために,福祉避難所が設置されることになっていた。少なくとも社会福祉関係施設の多くは,福祉避難所として機能するはずであった。しかし現実には,なかなか思うようにはいかなかった。なぜか…?

 い最近まで福祉施設が,地域住民から「迷惑施設」とされていた時期があった。このため,認可申請の前に地域住民とよく協調して整備計画をまとめるよう,国からの指導がなされた。これを受け住民座談会を開催するなどの方法で,地域住民から理解を求めるといった取り組みが行われた。そして設置認可の際には「何かあったときには,地域住民のために施設を開放することも念頭に置くように」という“条件”が付されて認可されたという歴史がある。そのため,設置認可の段階で「福祉避難所」の前に,緊急時には地域住民のための「公の施設」という性格を帯びていたのである。したがって日頃は,施設の敷地を地域住民による地域行事のために開放したりもしていた。

 のような背景の中で,震災が発生した。停電したことも手伝って,周辺のありとあらゆる住民が次々と施設に押し寄せた。このような光景は,すべてではないものの,多くの福祉施設でみられた。そのために,一般の避難所で,障害を抱えた方や要介護高齢者,精神障害者と呼ばれる方々などが,「どうしても避難所では暮らせないので福祉避難所に行きたい」という段階になったときには,受け入れが可能な社会福祉施設が,近くにはないという事態が発生したのである。ストックしていた毛布をはじめ水や食料も一般の避難者に提供したことによってたちまちなくなってしまい,その後に「福祉避難所として受け入れてください」と打診しても「申し訳ありませんが勘弁してください」という回答がなされたのである。結局社会福祉サービスの対象者は,行くところがなくなり,医療機関や県外の社会福祉施設を利用することになった。

 のような事態を招いた要因の一つとして,人口減少と併せて少子高齢化の時代に突入したにもかかわらず,いまだに「経済成長」や「安定成長」という前時代の都市型社会モデルを基本に,国が地域政策を展開する発想から脱却できていないことがあげられよう。今回の震災で福島県の原発事故は「人災」と言われている。しかし被災三県に共通して,こと社会福祉サービスの利用者に関して言えば,人口減少および少子高齢化という対応すべき実社会に背を向け,かつての都市型社会モデルを基本としたまちづくりを地方にまで求めて進める限り,震災の犠牲者や現在増加している震災関連死は,まさにこの結果の「人災」とも受け取られかねない。東日本大震災は私たちに,経済成長の時代から次の時代への転換を認識させるきっかけだったのではないかと思われるのである。こうした課題の解決を図るため,地方の社会モデルのまちづくりが急がれる。

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第96号平成24年9月1日

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