建帛社だより「土筆」

平成28年9月1日

学問としての保育学の地位を高める

日本保育学会会長 白梅学園大学・白梅学園短期大学学長  汐見 稔幸この著者の書いた書籍

 育学は今,めざましい進歩を遂げています。
 日本保育学会が出立したのは戦後すぐの昭和23年でした。そのときの学会の学問状況を津守真第五代会長は,当時「保育学は学問とは考えられていなかった」と書かれています。
 実そうだったのだと思います。幼稚園に通っていた子どもがまだ全体の一割程度で,お寺の一角や粗末な民家で始まった保育所が多い時代に,そこで必死で模索しながら行われていた営みについての言説が,学問として自立したものであると言えるような状況にはとてもなっていなかったのでしょう。
 かし,その後保育研究者も実践者も保育学の学問としての権威と性格を高めるために懸命の努力をし,その努力を論文としてまとめると,会員数も飛躍的に増えていきました。
 守先生が学会長になられたのは平成12年でしたが,そのとき先生は,学会ができてから50年以上子どもたちと格闘しつつ研究を重ねて,今や「保育学は学問となることを確信するに至った」と書くことになります。
 の文言に触れるごと,私は戦後50年,あるいは70年の間の先人たち,同僚たちの努力に頭が下がります。津守先生はさりげなく「学問になること」と書かれていますが,予測できない子どもの動きや反応を意味づけたり,それを反省したりすることを基礎にして,保育という営みを科学的・理論的に整理する訳ですから,たいへんな困難が伴うのです。
 かしそれが次第に成果を上げ,蓄積されてきて,保育学が学問といえるようになってきた,今後もっと学問として発展するだろう,そう確信したと津守先生は言います。この前進の意味を私は深くかみしめたいと思います。
 在,欧米各国,そして東アジア諸国は,共通に国の保育の政策上の位置づけを大きく変え,保育重視策ともいえる施策を具体化しはじめています。その背後には,社会の抱える大きな課題に対応するために,各国民の知的・教養的水準を積極的に高める必要が生じてきていることと,子どもが育っていく土壌となる生活が社会・文化の変容で大きく変化してきたため,生活の中での育ちに懸念が出てきていて,社会の力による意識的な育てをより早期から始めなければならなくなってきているという現実があります。
 21世紀の中盤を迎える時期になって,子どもを育てる社会のシステムを大きく変える必要が生じてきたということです。やがて義務教育を3歳から,あるいはゼロ歳から始めないと,期待する人材が育たないという時代がくる可能性もあります。
 うした動きは,保育学に新たな試練を与えています。教育学が,新しい近代国家づくりの人材養成部門を担うために学問として急速に発展したのに対応するかのように,保育学も21世紀の人材養成部門を担う自覚をもって,より学問として性格を高め,社会的機能を向上させなければならないのです。
 育学には教育心理学や教育方法学だけでなく,教育哲学,教育制度学,教育行政学,教育社会学,教育生理学などがそれぞれ学問として自立して成立し機能していますが,同じように保育学も保育哲学,保育制度学,保育行政学,保育社会学などを成立させなければならないと思うのです。
 うしたミッションに学会として応えていくために,私はさしあたり,幼い子どもの育て,育ちにかかわる関連学問との積極的な交流・協働を進めたいと思っています。例えば脳科学は今,さまざまな人間の行動をより合理的に説明し始めていますが,この機運を生かして,脳科学者たちと,幼い子の行動や育ちのメカニズムの解明という点で積極的に交流・協働していくことで,相互に刺激を与えうる関係と交流が可能だと思っています。
 た,実際の保育場面での子どもや保育者の行動の分析は,これまで心理学を方法として行うことが多かったのですが,そこに社会学者の参入を促すことで,保育の社会学の展開が可能性として浮かんできます。
 れは一例ですが,このような形で関連学問との積極的な交流・協働をさしあたりの私の仕事と したいと思っています。

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第104号平成28年9月1日

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