建帛社だより「土筆」

平成31年1月1日

科学技術の進化と保育のあり方

白百合女子大学教授 髙橋 貴志この著者の書いた書籍

 「二五〇〇+一五=二五一五!」「一〇五+二六=一三一!」「一〇〇〇+一〇〇〇+五〇〇=二五〇〇!」。幼稚園の五歳児クラスの男の子の声がソファの陰から聞こえてきました。五歳児にしては、複雑な計算に即答しているので、「すごいなぁ、塾に通って勉強でもしているのかなぁ」「算数の天才¥文字(G0-8336)」などと思いながら、こっそりソファの陰をのぞいてみたら、男の子は大人の使い古した電卓を使って計算していたのでした。
 小学校の教科「算数」のように、基礎から系統的に学んでいるわけではないので、この男の子が電卓を使わずに同様の計算をできるかどうかは定かではありませんが、おそらくむずかしいでしょう。ですから、この出来事が算数の学びの基礎になるかといわれれば、ちょっと「?」がつきますが、私はこの男の子をみていて二つのことを思いました。
 ひとつは、文明の利器(最近あまり使われない表現ですが……)は子どもの生活に“ごく普通に”入り込んでいて、便利なものを上手に使って生活していく術を、子どもは“ごく普通に”身につけていくということです(誤解のないように申し上げると、数学的な論理を理解し、自分の頭で計算できる力が不要、といっているわけではありません。いつも電卓を携帯しているわけにはいきませんから、将来的には電卓なしで簡単な計算ができる力は必要です)。私たち大人の普段の生活を振り返れば、便利な物を使って効率的に物事を処理するというやり方は、もはや当たり前になっています。その当たり前が、子どもの生活社会に入り込むのは当然のことなのかもしれません。
 もうひとつは、このようなケースを保育者はどのようにとらえ、対応すればよいかということです。今回の話は、電卓という一世代前の文明の利器でしたが、AI時代を目前に控えて、今後、スマートフォンやタブレットを超える未来の文明の利器が“ごく普通に”子どもの生活に入ってくることは容易に想像できます。効率的に物事を処理するスピードは今より格段に上がることが予想されます。このような変化が、生活や遊びの中で子どもが試行錯誤する機会を保障し、じっくり時間をかけて子どもの育ちを支えることを大事にする、今の保育の基本姿勢と異なることはすぐにわかります。かといって、文明の利器の進化を止めることは現実的ではありません。
 幼稚園教育要領の改訂や保育所保育指針の改定を受けて、今、保育の場は新しい局面を迎えていますが、科学技術の進化に合わせて変化させる部分と、子どもの育ちを保障するうえで時代を越えて堅持しなければならない部分をどのように関連させていくかという点に関して議論を深めることは、今後、必須となるでしょう。学問領域を超えた多くの知見が融合し、新たな時代の保育が構想され、実践されることを期待します。

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第109号平成31年1月1日

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