建帛社だより「土筆」

令和4年1月1日

あえて「高次脳機能障害」でなく「 認知能力」という語を用いたい理由

鵜飼リハビリテーション病院 森田秋子この著者の書いた書籍

 年の交通事故による頭部外傷者が社会復帰困難となり社会問題化するようになったころから,「高次脳機能障害」という語が一般にみかけられるようになりました。人にはみえにくく,わかりにくい症状ですが,名前がついて,行政からの手が差し伸べられる道が開けたことには大きな意義があります。しかしながら,「高次脳機能障害」は多様で難解のため,今なお一般に正しく理解されていないと感じることが少なくありません。医療福祉関係者でさえ,「正しく理解していない」と思うことがあります。

 えば,病院のカンファレンスで,「高次脳機能障害があるから,この患者さんはよくなりません」という発言を聞くことがあり,かかわり方が難しいため,うまく改善を引き出せずに高次脳機能障害を言い訳にしているのではないかと感じることもあります。

 「障害」という語を用いると,「有無」を明らかにしたくなり,「障害有り群」と「障害無し群」に分類しがちです。しかしこの障害は,この2つに分けられるほど単純ではありません。症状は変化し,軽症化することも多くあります。私たち医療福祉関係者にとって大切なことは,この障害をどうとらえることがその人を援助することにつながるのか,どうかかわることで,もっとその人の力を引き出すことができるのか,ということなのではないでしょうか。

 ごろ私は,あえて「高次脳機能障害」という語を用いないようにしようと心がけています。代わりに,「認知能力」という語を可能な限り用いています。

 「高次脳機能」には,注意,記憶,感情など,個々の機能があると考えられます。しかし,実際の生活のなかで,それらは個別に働くわけではなく,全体で,考えたり,決めたり,実行したりする,力として発揮します。そして,その人のキャラクター,価値観や信念など,その人らしい特徴とも合体した総合力として働きます。「機能」と呼ぶよりは,「能力」と呼ぶ方がふさわしい力です。

 「認知能力」は,すべての人に存在しています。その力が小さくなってしまった人もいるし,わずかに損なわれているだけの人もいます。大切なことは,それぞれの人にどの様な力が残されているのかを理解することです。自分では何もできず重い障害があるようにみえる人が,「ここをしっかり持っていてください」という指示に従うことで,介助者の負担を軽減できる場合があります。ここがどこだかわからなくなっているのに,介助されて感謝の言葉をかけることができ,介助者に有用感や満足感を感じさせてくれることもあります。小さくなっていたり,偏っていたりしても,その人のなかに残されている力があるのです。

 えて,高次脳機能障害といわず,認知能力と呼ぶことにより,それぞれの人のなかに残されている力をみつけ出すかかわりの重要性を再認識することができ,リハビリテーションの原点に立ち返ることができるのを感じます。

目 次

第115号令和4年1月1日

全記事PDF