建帛社だより「土筆」

令和4年1月1日

特別支援教育における合理的配慮とICT

帝京大学教授 金森克浩この著者の書いた書籍

 本では平成19年,それまでの「特殊教育」は「特別支援教育」へと生まれ変わった。旧来の重い障害のある子どもたちが「特別な場で学ぶ」という制度から,「特別な支援を受け共に学ぶ」ようになった。また,通常の学級で学ぶさまざまな支援を必要としている子どもたちへの教育の充実も必要とした。それは「障害」のとらえ方の大きな転換であった。

 れまで「障害」は,個人内にある困難さであり,その人自身が解決するものとされてきた。場合によっては,差別や排除を受けることもあった。しかし,「障害」は個人のなかにあるのではなく,社会の側にこそあるというのが新しい考えである。社会が困難のある人を受け入れ,共に学ぶことが認められるようになってはじめて,私たちは共生社会を形成しているといえる。

 の実現に必要なのが「合理的配慮」の考え方と「基礎的環境整備」といわれている。日本が批准している国連の障害者権利条約は,障害者の人権および基本的自由の享有を確保し,障害者固有の尊厳の尊重を促進することを目的としている。その達成のためには,社会にあるさまざまなバリアを除去していかねばならない。バリアを除去するため,すでにあるものに手を加えるのではなく,最初からバリアがないように整えられていれば,誰もがより暮らしやすくなるだろう。例えば,階段ではなくエレベーターやスロープを設置することは,ユニバーサルデザインとして整備される「基礎的環境整備」である。

 「基礎的環境整備」がなされ,さらに求められるのが「合理的配慮」である。障害のある人たちの困難さは,個別に大きく異なる。障害者権利条約に,「合理的配慮」とは「障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し,又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって,特定の場合において必要とされるものであり,かつ,均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」とある。

 の「必要かつ適当な変更及び調整」と「均衡を失した又は過度の負担を課さない」がポイントとなる。「合理的配慮」を実現するためには,当事者同士の「建設的な対話」が大切である。各々が主張するのではなく,お互いの立場を尊重し歩み寄ることによって,解決の方法がみえてくる。

 「合理的配慮」において,ICT機器は大きな役割を果たす。人がどれほどまでに配慮をしても,限界がある。また,障害当事者が求めるものは,的確に答えられるものではない。しかし,ICTの活用は幅の広い変更調整が可能であり,当事者がそれを活用することで自立的な生き方と学びを実現することができる。私の知人はほぼ身体を動かすことができないが,ICTを活用することで,視線と足の指のわずかな動きで海外の人と交流を深めゲームをし,豊かな生活を送っている。多くの人がICTの可能性を知り,ICTが支援の一助を担い幅広く活用される社会であって欲しいと考える。

目 次

第115号令和4年1月1日

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